野いちご

イングマール・ベルイマンの『野いちご』を観る。

 

『冬の光』の投稿で、ベルイマンについては熱弁をふるったので、こちらは簡潔に済ます。

ヴィクトル・シェストレムのことを、この映画ではじめて知った。名優だなぁなんておもいながら鑑賞していたけれど、指折りの映画人だったのか。彼の監督した『霊魂の不滅』をぜひ観てみたい。

 

『野いちご』はベルイマンの映画のなかでも当時から評価の高かったようで、ベルリン映画祭で金熊賞も受賞している。

この映画の魅力は、なんといっても筋書きである(こまかなあらすじはウィキペディアに載っているので、ご興味のあるかたはぜひ)。

老いた医学博士が、名誉学位の授与式へ出席する一日を切りとり、そのなかに夢や幻想が点々と散らばり、観客はイサクの人生をそれを通じて知る。上映時間は100分にも満たない映画でありながら、物語はまだだれも踏み入れたことがないような深い場所まで行きつく。

そういった物語であるから、シェストレムが演じる老教授・イサクの存在感は絶大で、都会的な美女もヘルシーな美女も出てくるけれど、それよりも彼の味わい深い容姿や演技のほうが、格段に映画を色づかせている。シェストレムはとにかくゴージャスだ。大好きになった。すこし垂れた目がやさしげで、声もいい。

 

それと、ひさしぶりにベルイマンらしい映像の美しさを味わえた。前回みた『冬の光』は、じっとしたカメラだったから。

いちばん初めの悪夢、ふいにひとのいない街路にさまよい出て、針のない時計を見上げるイサク。顔のない男。御者のいない馬車、そして馬車からはずみで落ちた棺から伸びてくる老いた白い手・・・。とくに、馬車の車輪が街頭にひっかかり、車輪が外れてしまうシーンはかなり不気味。よくこんな演出を思いつくなあ。

それで、この老教授が『狼の時刻』のユーハンみたくなってしまうんじゃないかと不安になる。ここの場面は、風どころか空気もないようなしずけさがこわい。その死んだようにしずかな空間に、唐突な馬車の登場があまりにもちぐはぐで、先が読めずにイサクが目を覚ましてくれるのを待つ。このシーンは、ルイス・ブニュエルの『昼顔』の幻想シーンにもすこし似ていたな。ベルイマンのほうが数段かっこういいけれど。

ベルイマンの映画はいつもそうだが、くらくて残酷な物語であっても、まちがっても観客を、映画が終わったあとにその場へ置き去りにしたりしない。そうやって、残酷なきもちを観客に植え付けてしまうのは、やりかたを知らない俗人の映画だ(わたしはほんとうにそういう映画がいやです)。そういうものは、その時代の人間しか引きつけておくことができない。とおもう。

これは、ハッピーなものがいいと言っているわけではなく、映画は温度を持つべきなのだとおもう。イサクのみたいとこたちや亡き妻の悪夢ほど残酷な夢を、いったいだれが編めるだろう。それでいて、ラストシーンで、とおくから両親を見つめ、しずかな呼吸をしながらほほえんだイサクのカットは、静かでありながら、すべてを救済する力を持っている。胸がいっぱいになって、すこし涙がでた。

わたしはとてもうれしかった。ベルイマンが、このような映画を撮り、かれの映画には自殺するひとびと幾度と描かれながら、かれ自身はずいぶん長生きして、ずいぶんたくさん映画を残してくれたことが、そういうことがなんとなく脳裏で組み立てられ、とてもうれしくおもった。たくさん結婚するのもいいかもしれない。