円いエレベーターのあるマンションの夢

すこし前にみた夢。とてもこわい夢だった。

夢の雰囲気はデヴィッド・リンチの『イレイザーヘッド』そのもの。

わたしは空き部屋だらけの古い公営住宅に住んでいた。経年によって黒ずんだコンクリートがむき出しの、ずいぶんと堅牢な七階建てのマンションで、入口に円柱状の大きくてガラス製のエレベーターがあった。せまいエレベーターホールには、厚くほこりをかぶった、市松模様のじゅうたんが敷かれていた。
わたしはそのマンションの、厳密に何階なのかはわからないけれど、上のほうの階に住んでいた。太いコンクリートの廊下をずっと突き進んだところにあるいちばん奥の部屋で、そこに父と母と弟と一緒に暮らしていた。
わずかにいるマンションのほかの住人たちは、みな奇妙でおそろしい人たちだった。老人と小さな子どもが多く、彼らはそろって何か理由があり体が不自由で何かに感染しているようで、極貧の生活をしてぼろをまとっていた。
わたしと家族の住む部屋は、広く天井も高かったが、がらんどうで、からっぽのコンクリートの箱のようだった。部屋には人数分の椅子とひとつのベッドがあるだけで、ほかにはなにもなく、窓からはほとんど日光が入らなった。それでもわたしと家族にはそのほうがよかった。陽を浴びるにはあまりに体も心も弱っていた。とくに母は病気(衰弱となにかの感染症)がひどく、立ち上がるのもやっとの状態だった。ベッドは母が使っていた。夢のなかの母は大戦中の東欧のジプシーのようなひとだった。
父は険しい土気色の顔をした、背が低く痩せこけた男で、ひどい咳をひっきりなしにしていた。薬物中毒者のような咳の仕方だった。その音がいまもわたしの耳に残っている。下着だけを身につけて、父はほとんどしゃべらずに、部屋をただぐるぐると回り続けていた。わたしは14歳くらいで、弟は8歳くらいの小さな子どもだった。弟は蒼白な顔をして、わたしの腰に腕をまわして離れなかった。弟はうまれてから一度も口をきかない子だったが、わたしは弟をとても大事に思っていた。それに父のことも母のことも深く愛していて、すべての事象が不安でたまらなかったけれど、この家族をひとりでも失うことがなによりも怖かった。

どこへ行っていたのかは覚えてないけれど、わたしと弟と父はたびたび外出した。
そのときは、ガラスのエレベーターを使って階下へ降りた。エレベーターを待つ時間は途方もなく長いので、わたしたちはそこでマンションの住人と遭遇した。
彼らは一様に、ぼろきれのようなネルのパジャマをまとっていて、何年も入浴していないようなきつい匂いを漂わせていた。むろん、わたしは彼らにおびえ、できるだけ顔を見ないように、触れあわないようにしていたが、小さい弟の戦慄と比べると、それはなんともない嫌悪だった。弟は、彼らがそばにいると呼吸もまともにできずに、あらんかぎりの力でわたしにしがみついていた。父はそんな弟やわたしにはきわめて無頓着だった。父は病的な背骨をしていて、首をつき出して、エレベーターの前に敷かれた醜悪な色合いのじゅうたんから、まっくろな穴のような目をあげなかった。わたしはふしぎと、弟とおなじように、父をもこのひとたちから守らなければいけないという感情をいだいた。その円形のエレベーターは異様なほど静かにゆっくりと挙動した。わたしと弟は、いつもほぼ中央に乗りこみ、それが地上へたどりつくのを祈るように待った。
わたしたちにとって、このエレベーターを待つ時間と、乗る時間は一日のなかでなによりも憂鬱なものだった。マンション以外の光景は夢の中に出てこないので、なにをしに外出していたのかはわからないのだけれど、おそらく食べ物を探しに行っていたのだと思う。

マンションで殺人事件が起こった。わたしはその光景をなにも目にしなかったけれど、住人の大半がいなくなり、弟も消えた。夢がここからかなりあやふやになる。
わたしは、マンションと酷似した古びた刑務所の独房に、父とふたりきりでいた。広い独房は、ひとの檻というよりは獣の檻のようで、汚れてはいるが、すりガラスも嵌まっていた。そこから入る陽のひかりは夕暮れのものだった。
大量殺人をしたのは父で、わたしはそれを疑っていなかったし、むしろよく理解した。弟が死んだという意識は薄く、人攫いにさらわれてしまったかのように感じていた。父は翌日に死刑を執行されることになっていた。母も、明白な理由がないままに共犯として逮捕されていた。このあたりのディティールはごく曖昧。わたしは急に18歳くらいになっていた。いちばん恐れていたこと、家族を失ってしまっても、わたしは父のことを悪く思わなかった。ただ、衰弱しきった母が刑務所に入れられたとおもうと、たまらなく不憫で、母がそこで死んでしまうのではないかという現実味のつよい恐怖を抱いていた。

父は手錠こそしていたけれど、普段よりも落ち着いてわたしの前にいた。ポールのような鉄格子にもたれて、わたしを見つめていた。そのときには、わたしはわずかに父よりも背が高く、見下ろすように父を見つめ返していた。長い前髪からのぞく父の目は、はじめて動物らしいあたたかみを湛えていた。わたしはそこで、父がまもなくいなくなることを恐れ、はじめて悪夢の骨頂に達した。それでも、この事件はいつか起こることだったと、感覚を超えたところで受け止めていた。父はさいごにわたしにやさしいことばをかけた。正確なことばは覚えてないけれど、まるで最愛の恋人への別れのことばのようで、わたしはじぶんがほどけてなくなってしまうのではないかと思った。父に背を向けてその独房を出る瞬間、とりかえしのつかないこと、わたし自身がひとを殺してしまったような感覚を覚えた。

場面が切り変わり、その後、母のベッドで眠る夢をみた。泥のような眠りで、たくさん汗をかいた。目覚めたとき、もう父がこの世にいないことを思い、刑務所に母に会いにいかなければと、まるで強迫観念に囚われたようにベッドから起き上がった。日々の救いは、刑務所にいる母との面会で、母が刑期を終え、生きてわたしも元へ戻ってくるということだけが唯一の希望だった。
わたしはひとりであのおそろしいエレベーターを待った。