ミツバチのささやき

スペインの映画監督ビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』を観る。

ずっと、エリセの映画を観るのを心待ちにしていた。ツタヤの宅配サービスで、数枚の在庫を、500人くらいと一緒に待っていたのだが、DVDが再販され、ツタヤも大量に仕入れてくれたので、やっと手元に届いた。こうやって一年に数本ずつでも憧れていた映画に出会えることは何よりもうれしいことだ。

高校時代のある先生に「趣味を聞かれて、読書と音楽と映画を挙げるのはやめなさい」と言われたことがある。わたしにはその戒めがすごく意義深いものに感じられたため、以来わたしの表向きの趣味は音楽と読書と映画鑑賞ではなくなってしまった。しかたがないので、履歴書などで、趣味の欄を書くときには「早起きをしてペット(犬)の散歩」とか、「ペット(犬)と遊ぶ」と書くようにしている。けれど、やっぱりわたしの一生の趣味は映画だけだとおもう。映画を観ている時間と、それについて考えてる時間は、わたしの人生のなかでずいぶんとウエイトを占めてるもの。

エリセは1940年スペイン生まれの映画監督で、まだ長編作品が3本しかないという超寡作な監督である。わたしはこういった”寡作な映画監督”たちのことを考えるとすこしこわくなる。エリセももうおじいちゃんなのだから、あと1本くらいは残してほしい。

まず何よりも、『ミツバチのささやき』というタイトルにずっと惹かれていた。題名だけで好きになってしまうことって、意外とたくさんある。
ヌーヴェルヴァーグの巨匠エリック・ロメールの映画はまさにそれで、ひとつも観たことがないのにわたしはこの監督が好きだ。『クレールの膝』や『緑の光線』『背中の反り』など。
この映画は終始、際立って正統に映像が美しく、よくもここまでやわらかな光の階調が出せるものだと驚いた。ライティングの工夫なのか、フィルターなのか、詳しいことは分からないけれど、その取り留めのない明るみと、 ぼんやりとした長回しのカメラによって、わたしのイメージのスペインはおろか、ずいぶんと浮世離れした景色を見た。
主人公アナの瞳はまるで鹿や馬の目のように色味が深く円形のカーブが見て取れて、彼女自身も野生動物めいた存在感を持っている。あんなにもきらきらと光を帯びた目なのに、ふしぎと何の感情も読みとれない。
わたしは鑑賞しながら何度も「きれいな目!」と呟いてしまった。この少女は、少年のようだったり、ふいに年老いて見える瞬間があったりして、すっかり惹きつけられた。
1931年の映画『フランケンシュタイン』がストーリーのキーとなっていて、わたしはこの構成がとっても気に入っている。『フランケンシュタイン』はまだ未見だけれど、この伝説的な映画を引用するということは、この『ミツバチのささやき』は、エリセにとって特別な作品だったのではないかと感じる。アナの姉のイザベルは、アナと比べると明らかに可愛くなく俗物に描かれていたけれど、意地悪そうなむっつり顔にはなかなか好感が湧く。わたしは子どものころ、子どもにはうんざりだったし、彼女のように口紅に憧れてもいたので、共感できるのはアナよりもきっとイザベルだ。猫の首を絞めるシーンは丁寧でとくに印象的なシーンだった。黒いハイネックのセーターと、草色のスカートがすばらしく似合っていた。イザベルは死んだふりもずいぶん上手だ。

アナは逃避行の末に、死の淵まで旅をする。あらゆるものの流れに逆らい、自分を守るために自分を見失いそうになっていくさまが、あまりに美しい映像のなかで描かれ、その満ち満ちた静けさと美しさに、これが危険な物語であると、感じるのを忘れてしまいそうなほどだった。
エリセの描く両親というのは独特で、それはのちの『エル・スール』でより濃密に描写されている(次回書く予定)。
もうひとつ独特だったのは、モチーフの強調だ。伏せんの現れが、なんとなく大雑把であからさまで、そうでありながら、大切なところはくっきりと浮かび上がってこない、ふしぎな感触があった。この映画から、スペイン内線のことを感じられるほど知識はないけれど、検閲があるからこその映画が残されたことをおもうと、検閲も悪いことだけではなかったのじゃないかなとおもう。ショスタコーヴィチなども、すばらしい手法を用いて、凄みのある音楽をたくさん残しているし。

ビクトル・エリセの映画の登場人物たちは、はっきりとした理由は見当たらないけれど、みな聡明である。だから、エリセの映画は物悲しさを、本質的に保っているのだとおもう。物語というものは、物語性のためにひとは愚かな場合のほうが多いでしょう。エリセの映画は、人物の性格にストーリーが起因するのではなく、もっと大きな力に、運命や時間といったものに起因しているからこそ、映画としての美しさが際立っているような気がした。そういう意味では、エリセは特別な語り手なのじゃないかな。わたしはそんなふうに感じた。

長く長く待ったかいがありました。感じたことがうまくまとめられないのが残念。