レオン

リュック・ベッソン監督の『レオン』を観る。

リュック・ベッソンの映画はあんまり観てないけれど、2003年の『アンジェラ』の大理石像の美しいラストシーンは今でもよく覚えている。パリの景色が、まるで洗いたてのように清潔で、ふしぎな光景だった。
リュック・ベッソンの映画に出てくる女優たちは皆きれいですね。Taxiシリーズのヒロイン、マリオン・コティヤールがとってもきれいで、一作目をきっかけにマリオンを好きになった。いまでは大大大好きな女優のひとり。

しばらく『レオン』のことは敬遠していた。ストーリーはすでに知っていて、感動映画を観て泣いて立ち直れなくなるのは癪にさわるから。『グラン・トリノ』を観たときも、悔しいまでに悲しくて、言い訳した。「お涙頂戴劇!」

結局、この映画を今回はじめて観て、レオンの死が悲しくて大泣きした。こんなシチュエーションで、この男を好きにならない女の子なんかいない。この場合、レオンが格好良すぎて、物語性を損なうことになっている。だって、こんなひとがいたら、マチルダじゃなくても愛さずにはいられないでしょう。
この映画のテーマは間違いなく愛で、マチルダがレオンと引き換えに復讐を選んだことに、NAVERの〈絶対に泣ける映画11選〉に選出される理由がある。
彼と一緒に生きていくよりも、マチルダはスタンスフィールドの命を望んだ。ここに、この映画の究極性があるとはおもうんだけれど、わたしはなんだか納得がいかなかった。マチルダの感情の動きが不透明だ。究極性に重きを置きすぎるから、娯楽向けとか大衆向けと分類されるのじゃないか。間違っても、ハッピーエンドだからそうなるなわけじゃない。
ストーリー上は八方塞がりで、レオンが殺し屋をやめて、カサヴェテスの『グロリア』のふたりのように再出発することは難しかっただろうけど、でもマチルダの「わたしが欲しいのは愛か死よ」と言うせりふと彼女の要求は矛盾してる。彼を失ってしまうことを、賢いマチルダは分かっていただろうに。もしも予期していなかったら、それこそ馬鹿げたお話だとおもう。愛を獲得したというのに、それを失ってまで復讐にこだわる理由がどこにあるのか。
そこに、なにかしらの形で美しさを見出せるのなら納得がいくけれど、わたしが理屈屋すぎるのかよく分からなかった。ここでレオンが、人間らしく愛を見出し死ねたなんて、もう悪夢みたい。中村航みたい。
ナタリー・ポートマンの切実な演技には胸を打たれた。レストランで彼女が大笑いして、ジャン・レノが戸惑うシーンなんかも、それだけで泣いてしまった。
なんてきれいな茶色の瞳!頭蓋骨のかたちもほんとうに美しい。彼女の出ている映画はよく観ているけれど、こんなふうに魅入ったのは今回がはじめてだった。
散々文句をつけたけれど、ただ悲しかっただけです、ほんとうに。次の日まで泣きました。