フランケンシュタイン

ジェイムズ・ホエール監督の『フランケンシュタイン』を観る。

 

現代のホラー映画は、年に数本観ているけれど、昔のホラーを観るのははじめて。ドキドキした。
観るにいたった理由は、エリセの『ミツバチのささやき』で、この『フランケンシュタイン』からの象徴的なシーンの引用があったのと、大学の教科書に、メアリー・ウルストンクラフトの紹介があり、その娘メアリー・シェリーがこの『フランケンシュタイン』を創造したということを知ったことである。
『ミツバチのささやき』が佳作とされているのは、この『フランケンシュタイン』の存在が少なからず影響しているはずだ。この映画に取り憑かれてしまった少女と、あの水を打ったような静けさの映像の組み合わせは、あまりにも魅力的だった。
それとやはり、このお話しを1818年に女性が生み出した!というのは大きな驚きである。母子ともに、当時の最先端の人物らと交流があったといえど、こんなお話しをよく思いつくよなぁと、21世紀を生きるわたしが嘆息してしまう。
ちなみに、メアリー・シェリーは詩人のシェリーの奥さんでもあるのです(有名な話だったら、偉そうにごめんなさい)。

 

わたしは今まで、フランケンシュタインというのは、おでこの長い、ヨタヨタ歩きの怪物の総称かと思っていたのだが、今回その誤りが正された。フランケンシュタインとは、人造人間を生み出した科学者の姓であり、人造人間にはこれといった名称はないらしい。
それと、1931年のホエールのこの映画がもっとも古いフランケンシュタイン映画だと思っていたのだが、そうではなく、1910年にもエジソン・スタジオというエジソンが出資者?の会社で制作されている。評判は芳しくなかったようだ。ウィキペディアによると、たったの3日で撮影したらしいから、それは当然のような気もするけれど。その怪物も、31年版よりも恐ろしくて、別の意味での怖いものみたさに、ちょっと観てみたい。

 

映画の感想・・・、やはり怪物役のボリス・ガーロフが強烈だった。
サイレントを経験しているからこその、筋肉の演技、ことばを用いなくても伝わる感情、いまでは望んでも見られない類の俳優だ。頭だけではなく、からだのすみずみまでもが、映画を知り尽くしているような演技と、観客をまごつかせない明瞭な心情表現。
ボリスの表情は、ほんとうによかったなぁ。助手のフリッツが焚き火をふりまわして威嚇するシーンの、おびえた表情や、暴れているときの、とても人間とは思えない凶暴で粗野な表情、それに『ミツバチのささやき』で引用された、愛らしい少女と花を摘み、不器用にほほえむ表情。なにより、おびえている表情が目に焼きついた。じぶんの存在に戸惑い、恐怖を覚え、われを失いそうになる、そんな表情。
原作自体もそうなのだろうが、これはこわいだけの映画ではもちろんなくて、人道を踏み外すと、こういうことになりますよ、という教訓みたいなこととは別に、怪物のかなしみが大きく物語に渋みを与えている。
わたしは原作も読んでいないし、この続編の映画も1本も観ていないので、ラストでほんとうに怪物が死んだのかはわからないけれど、これは怪奇物語というよりは、古典的な悲劇に近いものだろうと思う。

 

あんまり文句をつけたくはないけれど、表向きの主人公フランケンシュタインが、どういう人物なのか、最後までよく分からなかった。フリッツ(序盤、フリッツが怪物なんじゃないかと思うくらい、フリッツも見た目がこわい)が殺されると、目が覚めたように実験への熱が冷めるのも、いままでの浮かれようからすると、あんまり納得いかないし、それにあの怪物を、恩師の老教授と二人っきりにするなんて、軽率すぎるし。婚約者のエリザベスも、よくもこんな得体の知れない男を盲目的に信じられるなぁと不審に思ったけれど、まあホラーなんてそんなものなんでしょうね。ラストも、あそこまでだらだらするなら、もっと怪物を活かせたラストになるのではないかと思ったけれど・・(あまりに有名な映画なので声を大にして批判できません)。

 

フランケンシュタインの父、フランケンシュタイン男爵のキャラクターは、とっても魅力的だった。この時代の映画は、どんなものでも、クスッとできる要素があるところが好き。
あんなにチャーミングな父親がいて、人造人間なんて作り出しちゃうのも親不孝だなぁ。

 

続編を観るつもりはないけれど、ボリス・ガーロフの名優っぷりは想像以上でした。
短いけれどおしまい。