10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス

『10ミニッツ・オールダー』は、2002年に製作されたオムニバス映画で、15人の映画監督による、『時』をモチーフにした10分間の作品群で構成されている。『人生のメビウス』と、『イデアの森』の二編に分けられていて、先に、馴染み深い作家の多かった『人生のメビウス』を観ることにした。
こちらに収められている作品は7本で、アキ・カウリスマキ、ビクトル・エリセ、ヴェルナー・ヘルツォーク、ジム・ジャームッシュ、ヴィム・ヴェンダース、スパイク・リー、チェン・カイコーである。

オムニバス映画は大好きだ。作品自体がおもしろいことはむしろ少ないと思うが、監督ごとに、当然だがガラリと世界が変わるので、観終わったあとに、頭がぼーっとする。その感じが好き。それに、新しい監督の名前を教えてもらえるところもいい。
ドキュメンタリーに疎く、ヘルツォークとリーの名前は初めて知った。チェン・カイコーもずいぶん久々の鑑賞で、彼の映画を観たのは10年ぶりくらいで、なつかしかった。母が彼の映画が好きで、ときどき家族で観ていた。

10分間で、10分間をモチーフにした物語を編む、というのは至難の技である。お題としては単純明快だが、映画監督としての一般的な才能とはまた別の能力が必要で、きっとどんなに高名な監督でも、撮れないひとには撮れないのだろう。

わたしがいちばんおもしろいと思ったのは、ヴェルナー・ヘルツォークの『失われた一万年』だった。
これは、ブラジルの奥地に取り残されていたおそらく人類最後の未開の部族ウルイウ・ワウワウに接触するところをとらえた映像で、もはやこういう劇的な映像は、練られた脚本ではぜったいに表せない強みがあり、否応なくこれがいちばんおもしろかった。
10分というモチーフをどのように表したかというと、石器時代のままの生活をしていたウルイウ族が、鉄を有した近代文明に触れ、たったの10分で、一万年という時間を跨いでしまった、というものだった。すごい、よく合わせてきたなぁと感動した。
ウルイウ族はその後、閉ざされた生活ゆえに免疫がなく、近代人との接触で、ただの風邪や水ぼうそうなどで半数が死んでいってしまった。残された部族の若者たちも、自分たちの生活を恥じて、部族の暮らしを捨て、都会へと行ってしまったりと、ウルイウ族は散り散りになってしまう。映像はすべて実際の映像で、わたしはいままでこういうものを見たことがなかったので、ぼう然とした。80年代まで、近代文明とまったく接触のない未開部族がいたことも衝撃的だったし、19世紀にネイティヴアメリカンの身に降りかかったこととほとんど同じような(殺戮などはもちろんないけれど)結末を迎えたことに。

有名な監督らしいのに、ヘルツォークの名はいままで全然知らなかった。彼の作品は、今後たくさん観ていきたいな。

そのほかに、あまり期待していなかったジム・ジャームッシュの『女優のブレイクタイム』がおもしろかった。クロエ・セヴィニーのひとり芝居のような作品で、7本のうち唯一、10分間のなかできっちり10分間の出来事を描いている。とくにおもしろいことを思いつかなかったから、正面切ってこういう脚本にしたのかも知れないが、主人公の女優と観客が、10分間という時間をおなじ空間で共有でき、惜しむように感じられた。作品の狙いはしっかり成立していたと思う。
あとの作品は正直なところ、そんなに記憶に残らない。
アキ・カウリスマキなども、じわじわと長い時間をかけて彼の世界に慣れていかないと、作品のほんとうの良さが発生しないようなタイプの監督だと思うので、この10分の映像では、なにがなんだか、という感じだった。持論だけれど、カウリスマキの映画ほど、善人を突き放している映画はないと思う。きっと、善人でカウリスマキの映画が好きだと言っているひとは、なんとなくウソついてるんだろうな。

ヴィム・ヴェンダースはそつがないなぁ、という印象。スパイク・リーの『ゴアVSブッシュ』は、さすがにリアルタイムでの記憶がないと面白みが感じられない。が、いまの選挙戦もこれと同じくらいにヒドいなぁとアメリカ人の単純さがかなしい。

全体のおおざっぱな印象はこんな感じです。『イデアの森』は、あんまり評判が芳しくないようだけれど、近いうちに観てみよう。