レニ

1995年に、レイ・ミュラーにより制作されたレニ・リーフェンシュタールのドキュメンタリーを観る。
レニ・リーフェンシュタールは第三帝国時代に、傑出した映画製作を行った女性映画監督で、戦後は亡くなるまでナチの協力者と見なされ世間から非難された。
以前、彼女が監督として活躍する前の時代、27歳のときにヒロインとして出演した『死の銀嶺』を観たことがある。
背が高く、ややがっしりとした体つきの美女で、無声映画だから仕方ないのだが、このぎくしゃくした表情のヒロインが、あのベルリンオリンピックの映像を撮ったとはとても信じがたかった。

ドキュメンタリーのインタビュアーは、おそらく監督のミュラーだと思うが、とても優れたものだった。
レニがしゃべるところと口を閉ざすところを、効果的に対比させることで、彼女の考えがよく伝わってくる。
レニの偉業もあますところなく紹介している。彼女が当時の映画人のなかでももっとも優れた才能を持っていたことは疑う余地がない。夢中で映像技法について語る彼女の姿は、魔物がかっていた。戦後の活動もすばらしくて、そんなレニが、ナチスの話題になると、とたんにひ弱な老女のようにことばがあいまいに濁り、狼狽の表情が浮かべると、触れてはいけないところに土足で踏み込むようで、すこしこわかった。ゲッベルスとのやりとりのくだりの打ち切り方も、痛々しいまでだった。
こんなに大きな深手を追いながら、謝罪せず、許しをこうこともせず、あくまで自分は過っていないと主張して生き続けることが、どれだけの重荷であるのか、想像に及ばない。
この映画からは、ほんとうにいろいろなことを考えさせられた。
この映画の焦点でもある、レニの責任について。
レニはナチ党員ではなく、ユダヤ人迫害のことも知らないと主張し、戦争責任を問われることはなかったが、あえてナチ党員になることを拒んでいたのは、ユダヤ人大虐殺のことを把握していたなによりの証拠のようにも思える。
すくなくとも、ぜんぜん知らないということはありえないであろう。もちろん、それだけで政治責任があるわけではない。
けれど、やっぱりわたしは、芸術家というのはどんなスタイルであるにしろ、つねに社会への責任をはらんでいるものだと思う。それは意図せずとも、どうしようもないことで、目の前のオレンジやりんごばかり描いていても発生する類のものだと、ときどき考える。ピカソが『ゲルニカ』を制作しているとき、レニは『オリンピア』を撮っていたのだ。ほぼおなじ時期である。
ふたりとも、ただ自分のみたものを、感じたものを、自分という唯一のフィルターを通して、全身全霊でミメーシスしたのだ。
レニは、ナチス・ドイツのオリンピックを、フィルターに通し、そしてそれは取り返しのつかないことだった。
ユダヤ人たちに降りかかった悲劇ではなく、彼女の作品を観たものに対して責任があるのではないか。そこにはナチ党の幹部たちも含まれているのではないか。わたしは芸術とはそういう性質のものだと思っている。

レニの数奇な人生のことを思うと、どうしてこんなふうになってしまったのかと考えないわけにはいかない。
フリッツ・ラングなども亡命したわけだし、そうやって命からがら亡命した知り合いの芸術家たちもたくさんいただろうに。
彼女はナチスのおかげで思う存分に映画を撮れたというわけだが、かしこくて先を見通す能力があれば亡命していたにちがいない。ナチスの言論や表現の統制は、芸術にとって致命的なものだと分かりそうなものなのに。
レニが、いつまでも世間から批判されつづけても、謝罪をしなかった気持ちはなんとなく分かるような気がする。あの映像たちを彼女はどうしたって否定できないのだろう。そんなことをすれば、きっと自分の人生そのものを否定してしまうような気持ちになってしまうのだろう。

このドキュメンタリーのなかで、レニはいつもすばらしい芸術家だった。月並みな表現だが、やはり彼女も戦争の犠牲者であり、あの時代と自分の才能に蝕まれてしまった人なのだろう。彼女の晩年の作品が、ナチス的と形容されるのは妙なことで、ヒトラーが、レニの映像作品の個性を、ナチスとイコールにしてしまっただけだろうに。
『オリンピア』は、いまはもう観られないのかな。飛び込みの映像はほんとうに美しかった。