ホテル・ルワンダ/ルワンダの涙

今回はふたつの映画の感想。
どちらも、1994年に中部アフリカのルワンダ共和国で起きたルワンダ大虐殺を扱った映画である。
今年のお正月に『ホテル・ルワンダ』を観て、すぐに『ルワンダの涙』も借りて観た。
『ホテル・ルワンダ』という題はよく聞いていたが、ある使用人の男が経営難のホテルを再建する話しだとばかり思っていて、観てみようなどとはつゆとも思っていなかった。ノンフィクションの紛争を扱った映画だったとは。

ひどく驚いた。わたしはこの映画を観るまで、ルワンダという国を知りもしなかったし、必然的にルワンダ紛争のことも、なにひとつ知らなかった。あの大虐殺が、わたしの生まれた年、わたしが生まれるころとほぼ同時に起こっていたなんて。

わたしの学年の生まれ年は、つらいことがたくさん起こった年と記憶されていることが多く、「日本が傾いた年」と形容されることもあった。
オウム真理教に関連する事件や、名古屋での飛行機事故、95年1月だが、阪神淡路大震災など、今でも日本に大きな爪跡を残しているような出来事が多々起こっている。ことあるごとに、学校などではその負の要素が強調されてきたのだから、この紛争のことだって語ってくれてもよかったのに。
まともに学校へ行っていたわけではないので、文句をつけることはできないが、高校の世界史の授業では習うのだろうか。こういった出来事を、いままでまったく知らないで生きていたなんてショックだった。自発的に知ることができなかったこともショック。そういったことに鈍感でいたくなかった。

自称は映画ブログなので、映画について触れる。
映画の出来としては、『ホテル・ルワンダ』のほうがよっぽどよかった。話しが、思いっきり映画向きだったというのが大きい。まったくのノンフィクションといのはつよみである。
それに決定的なのは、主人公が人々を救える、という点である。それによって起承転結が明瞭になる。
それと比較すると、『ルワンダの涙』は、変にハラハラドキドキを狙った演出があったり、後味の悪い恋の話しがあったり、必要があるのかないのか分からない要素が多いのが気になった。
なにより、実際には存在しない架空の人物の主人公が、非常に凄惨なラストで、何の役にも立たなかったのを見ていると、脚本上にどういう意図があったのかという疑問が解消されない。主演はジョン・ハートが演じた、最終的に虐殺に巻き込まれたクリストファー神父だけでもよかったのでは。

ただし、『ルワンダの涙』の原題は『Shooting Dogs』といい、これの意味をちゃんと理解すると、この映画が単に悲劇を描いただけではなく、はっきりとした問題提起をしたことが分かる。これは、映画のワンシーンで、虐殺された死者の身体をついばむ野良犬を、衛生のためにねらい撃とうとする国連兵士の行動を切り取った言葉である。
虐殺の加害者であるフツ族に対して、発砲を禁止されている国連兵士が、犠牲になったツチ族の人々の屍をあさる野良犬は撃つことができる。こういった異常な状況を、この映画の題は見事に言い表していて、映画全編も、このシーンにきちんと焦点を当てていたので、観ながら邦題のいい加減さを呪った。

国連の機能不全が、紛争の当事者たちにとってどんなに大きな絶望であろうか。それに対し、欧米諸国は多すぎた失敗により、たとえ人道のためと言えども紛争に介入するリスクの大きさを学びすぎている。
いまの対ISもまさにそんな様相を呈している。常任理事国の傲慢さは、けっきょく何も変わっていない。
もっと嘆かわしいことに、ルワンダに関しては、欧米諸国はもはや無関心であったということだ。政治的野心もなく、それゆえこの無名の国に対して自らの兵を出す気も起きなかった。『ホテル・ルワンダ』と『ルワンダの涙』のどちらにも収められている、米国務省報道官Christine Shelleyの実際の音声もそれを物語っている。ロイター通信の記者の質問に、彼女があくまでルワンダで起きたことを、ジェノサイドと明言するのを避けている、いかにもアメリカらしいやり口で、嫌悪感を覚えざるを得ない。アメリカは、この国で起こったことを、遺憾とさえ感じていないのだ。

このような大きな問題提起をされ、ここまでそれをしかと受けとめられたのは、この映画がはじめてだった。いつもはじぶんのなかを素通りしていってしまう何かを、ちゃんと感じられた。じぶんの生まれ年の出来事だったからだろうか。
日本も、常任理事国の仲間入りばかりにやっきになってないで、そもそも安保理のしくみにメスを入れるような努力をしてほしい。
わたしなんかが言うようなことではないが、ほんとうに心からそう願う。

そういう意味で、わたしは『ホテル・ルワンダ』で準主役のポジションだったオリバー大佐のモデル、ロメオ・ダレール氏につよい興味を抱いた。
彼は、当時ルワンダのPKOの司令官であり、悲劇の渦中で、現地の人々と国連の板ばさみになりながらも、彼の立場としてはできる限りのことを行った人物だが、母国のカナダに帰国後にPTSDを発症し、自殺未遂まで追い込まれたそう。彼はのちに、いまの国連のあり方を批判し、ミドルパワーの連携を提唱している。

『ルワンダの涙』にも、このポジションに相当する人物デロン大尉というのが出てきたが、こちらは大したことのない人物だった。『ホテル・ルワンダ』の主人公には、守らねばならぬ最愛の家族がいて、『ルワンダの涙』のクリストファー神父には信仰があった。そういう意味で、映画のなかで、オリバー大佐はいちばん強靭な精神力を見せているように思う。英雄のように奇跡を起こすことはできなくても(あのホテルで起きたことは奇跡に近いが)、現実のぎりぎりのところで戦う人物には、誰しも惹かれるものだ。

歴史背景や、数字、具体的な虐殺行為などは省いたけれど、20年経った今では相当に秩序は回復しているそうで、首都キガリはアフリカ有数の都市になっているらしい。
女性の活躍も目覚しく(女性の政治家で、虐殺を推奨していたひともいたみたいだけれど)、下院では、世界で初めて女性が過半数の議席を獲得したとか。
教育も充実してきているそうです。