レ・ミゼラブル

ジャン・ギャバンって、いい名前。風の名前みたい。

今回、かれの演技をはじめて観た。
なんども観よう観ようと思っていた大作で、186分あったが、めちゃくちゃに目の冴えてる日にいっきに鑑賞した。
原作をそう何度も読んだわけではないが、ストーリーはだいたい記憶していたので、映画の精度の高さにはおどろいた。監督や脚本家により独自な解釈なども織り込まれるものかと思っていたが、そういうものもまるで感じられなかった。
長い尺をおどろくほど平板に、均一的に、クリーンに撮っている。一度も息切れを起こさない。もちろん詳細が省かれるシーンも多々あったが、それは当然のことで、むしろひとつのシーンで、より多くの情報をあらわすということへの専念をよく感じられるすぐれた映画だった。いやはやかっこいい映画だった。

ジャン・ギャバンの演技は、いままで観たことがない類の演技だった。
画面にかれが現れると、一瞬、意識の水面下で、このひとは映画に関係のないひとで、ミスで画面に入っちゃってるのかなと感じるような、そんな気配があった。
それなのに、彼の風貌にはたとえようもない存在感があり、異様なものを目の当たりにしているような気持ちになった。
誤解されそうなたとえになってしまったけれど、ギャバンのあのふしぎな画面への収まりかたはさいごまで新鮮で、むしろストーリーが進むほどにそれが際立ち、ラストではまさに小説を読みきったような気分だった。

造作がない、というとはちょっと違う。ギャバンのふしぎな存在感は、造作があるとかないとかとは別次元なんだと思う。
老齢とかお酒によるものだろうかとも考えたが、あとあと調べると、この映画の製作時はなんと53歳だったらしい。驚愕した。てっきり70歳くらいかと思っていた。
とくに終盤の演技がすさまじく印象に残ったから、わたしはこれがギャバンの遺作となったのかなとさえ思っていたのに。
ああ、ギャバンはほんとうにすごいのかも知れない。あと何作か観てみないと分からないけれど、ほかの名優たちとはまったく違う次元の演技だったのかも知れない。
こういう異才って、パッと見抜けそうなものなのになぁ。
でも、ギャバンの懐が底抜けであることはよくよく感じた。ことばでは尽くせないほどにジャン・バルジャンだった。そしてユーゴーにも似ているように見えた。
俳優陣は、ギャバンのほかにはやはりジャヴェール警部役のベルナール・ブリエがよかった。このひとも、きっと大きな思い入れを抱いて、その感情を非常にうまくあやつって、この人物を演じたのだろうなと思った。
フランスの映画は、ヌーヴェルヴァーグばかり観ていたから気づかなかったが、アメリカとおなじようにフランスにも優秀で厚い層の俳優陣がいたことを知った。

50年代にしては、映像がきれいなことに驚いた。カラーがやや明るすぎる気がするが、フィルムのことはさっぱりなので触れない。
巨額をかけての製作ということだから、なにか特殊なことをしたのかな。セットのこだわりが映像をクリアにしていたのかな。
衣装もすばらしかった。何シーンかだけだが、詩的にうつくしいシーンもあり、とくに史実だということもあって、六月暴動でABCの会がバリケードをつくり、抵抗する場面の夜明けのシーンには見入った。

『レ・ミゼラブル』自体について語るのはさすがにためらわれるが、気になる箇所についてすこし触れる。
ひとつは、コゼットがいつも浅薄すぎるのじゃないかということ。すべてはストーリーの大きな潮流のためだとは分かるのだが、鈍感すぎてあまり好きになれない。
そしてその恋人のマリユスの先見の明のない俗人っぽさにも、抵抗を感じる。命の恩人と気づかなくとも、愛する恋人のだいじな父親を邪険に扱うなんて、平均よりも性格が悪いんじゃないか。
こんな男と結婚するなんてばかげてる、とまでいつも思ってしまう。
もちろんそう感じるのは、この芸術作品の構図が優れているなによりの証拠であるのだろうが、くるしくなってしまうのは仕方がない。
それとわたしがバルジャンの生きざまに圧倒されるのは、やはり六月暴動のあたりで、政治や革命なんかはそっちのけで、愛する娘の恋人を救い出す場面だ。

じつは、めちゃくちゃ書きづらいのだが、わたしはこんなふうに、バルジャンのように生きたいと意外にも熱心に思っている。
せまい世界でもいいし、愛を向ける対象はひとつでいいから、そこに確固たる愛を注ぎたい、と。その対象のためなら、人生の意義や社会的満足などは取るに足らぬものだ、とちゃんと知って生きたい、と思っている。(そういうひとって、たいてい愚かしく見えてしまうが、そこは愚かしくならないようにする。)

ギャバンの映画、たくさん観よう。あの淡白な演技がいったいどうしてあんなに力を持つのか知りたい。
リメイク版のバルジャンは、ヒュー・ジャックマンでしたよね。かっこよすぎて好きになれないタイプの俳優だけど、観るのがたのしみ。