サンドラの週末

ダルデンヌ兄弟の新作を観た。彼らの映画では、はじめての駄作だった。かなしくなるくらいによく分からない珍作だった。
マリオン・コティヤールが主演だったのでかなり期待して観たのに。マリオンはこの映画での演技をかなり評価されたようだけど、なにがよかったのかわたしにはよく分からない。たしかにしっかりした演技ではあったけれど。
こういうのをリアリティって呼ぶのって、いろいろ間違ってない?というのが正直な感想。

ストーリーがすごいので紹介する。(ウィキペディアより引用)
―うつ病になり、休職していたサンドラ。回復し、復職する予定であったが、ある金曜日、サンドラは上司から突然解雇を告げられる。 解雇を免れる方法は、同僚16人のうち過半数が自らのボーナスを放棄することに賛成すること。 ボーナスか、サンドラか、翌週の月曜日の投票に向けて、サンドラが家族に支えられながら、週末の二日間、同僚たちにボーナスを諦めてもらうよう、説得しに回る。―

社員に同僚の解雇か100ユーロのボーナスかを多数決で決めさせるような会社なんてあるの?
そんなめちゃくちゃな上司のもとで、むりに働き続けないといけないほど、就職って困難なの?

という疑問がまったく消えないので、このお話しはあくまでフィクションであるということが大前提なのだろう。
そもそもどこの国の話かも分からないので、就業率や失業率の数字をもとに映画を観られない。それにわたしは一度も正規雇用されたこともなければ、就職活動をしたこともないので、現実味を感じられる映画ではなかった。世の中には、こういうブラック企業が思いのほかウヨウヨあるものなのかな。

たしかに最後にはサンドラは成長したなと思えはするのだが、ダルデンヌ兄弟の映画にしてはばかばかしすぎる。
ばかみたいなシーンが多々あった。
ラストの多数決を取る直前のシーンでは、サンドラにみなの前で「クソ女!」といって殴りかかろうとする若い男の同僚がいたが、ありえない光景で笑ってしまった。
だいたい会社側としては単純にひとりリストラしたいわけでその矛先が病み上がりのサンドラに向いていたのだろうが、そういう男こそ解雇するまっとうな理由があるではないか。

結局ラストでは、月曜日の朝、サンドラは多数決に負けてしまう。帰路につき、夫に「職探しするわ」と笑顔で電話する。
晴れ渡って、気持ちのいい絵ではあるのだが、拍子抜けしてしまった。

同僚の家をまわって、じぶんに投票してくれるように頼むあの労力を、最初から再就職に費やせばよかったのに・・・。仮にこの話がフランスでの出来事なら、失業手当はたっぷり出るんだから・・・。と思わざるを得ない。
映画的な演出を排斥しているからこそ、あまりに現実的なカメラだからこそ、観てる側からするとさすがにストレスを感じてしまった。

けれどまぁ、サンドラは最後には精神的な弱みを克服したことはストーリー上でも大きい意味を持ち、それはきっと最初から多数決などはあきらめて、再就職先を見つけようとしていたのなら、きっと叶わないことだっただろう。

この映画が、すこし無理のあるフィクションの向うで、なにを訴えたいのかはなんとなくはわかるのだが、わたしはやはり、めちゃくちゃな会社と理不尽で勝ち目のない戦いをするなんて、その会社のめちゃくちゃさを助長させるだけではないかと思ってしまう。
非現実的ではあるが、わたしは裁判信奉者なので、こういう会社は訴えて、メディアに取り上げてもらうなりして社会に問いかけることこそ、しかるべき対応なのではないかと思う。
わたしは甘やかされて育ってるし(現在進行形)、社会的不正にはかなり敏感に反応してしまうので、この映画には悶々とさせられた。サンドラの夫も、気丈な人物として描かれていたが、好感がまるで持てない。

そしてなによりだが、マリオン・コティヤールがこんなに微妙な女の役をやっているのはさすがに無理を感じる。
あんな美女で、その上あのスタイルで、こんな境遇に陥らないでしょ、とどうしても醒めた目で見てしまうのだ。
すっぴんでいようと、へんな格好をしてようと、彼女は世界一級の美女であることは隠しようがない。
マリオン・コティヤールは、現在活躍する女優のなかで、いちばん美しいと子どものころから思っている。彼女に女優としてひとつの欠陥も見出せない。
あんなにかわいくてセクシーに笑えるひとがほかにいるだろうか。
『世界でいちばん不運で幸せな私』で、カフェの制服のミニスカート姿で、ショルダーの長い麦わらのバッグを持った彼女はとくべつにラブリーだった。

アカデミー賞を受賞した『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』は近々観たいな。