明日へのチケット

エルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチという巨匠3人が参加しているオムニバス映画。
8割キアロスタミ、2割ケン・ローチ目当てにこの映画を借りた。
なんだかゆずの曲名みたいな題名の映画で、おもしろいのかなぁと疑ったけど、キアロスタミの映画はなにしろレンタルされている作品が少ないので、借りるほかない。観終わって、調べてみると原題は『TICKETS』だということを知ってちょっと安心した。どうして余計なことばをくっつけたがるんだろう。分からない。
さいきん、ほんとにオムニバス映画ばかり観ていて、これって惰性なのかもしれないとも思いはじめた。

あまり好きな映画ではなかった。三つの作品はなんとなく景色だけでつながっていて群像劇みたいな趣があるんだけれど、そのせいでぎゃくに集中力が途切れてしまうというか・・・。まったく切り離したかたちでもよかったんじゃないかなぁと思う。
それぞれチケットにまつわるお話しで、電車での出来事に終始するんだけれど、どうしてこういうテーマが選ばれたのかは分からない。
そういえば、JR九州も仰々しい電車の映画を製作してたなぁ。
まあ、鉄道にロマンを抱いているひとには、たまらない映画なんだと思う。
舞台はイタリアで、いかにも欧州らしい高速鉄道の風景はなつかしかった。でもやっぱりわたしは車の旅行がいちばん好きだな。

この映画で、さすがにひとりひとりの監督の作品を堪能することはむずかしいけれど、キアロスタミの作品は強烈だった。
なんなの!?と思った。もうこのログではキアロスタミの感想を書く。

話しの筋は以下のとおり。(Movie Walkerより引用)
列車はイタリアの小さな駅に停車する。太った中年女性が青年フィリッポを連れて列車に乗り込む。フィリッポは兵役義務の一環として、将軍の未亡人の手助けを命じられたのだ。しかし彼女の傲慢さに振り回されていた。夫人は車内を強引に進み、一等車の空席に腰を落ち着ける。一方、フィリッポは同郷の少女2人と出くわし、昔の話をするうちに情熱を持っていた自分の姿が浮かんできた。未亡人のわがままに我慢ならなくなったフィリッポは列車を途中下車し、彼女は一人、プラットフォームに取り残される。

この筋書きでは、正直何も伝わらない(ならネタバレする必要はないんだけど)。この中年女性のすさまじさは、ほんとうに観てもらわないと伝わらない。
あの後ろ姿のシルエット!あの目つきにあの足首!ほんとうに、どこであの女優を見つけてきたんだろう。完璧すぎた。

なんといえばいいのか分からないけれど、欧米以外の土地で生まれ育った人間が、こんなテイストの映画を撮れるというのがかなり衝撃だった。
あの脚本の奥深さ!当然だが、人間には個々に幾層にもその人生の歴史があり、その記憶というものは普段概して意識の下に沈殿しているものだ。
そのだれしもが抱えている深層のうちに、この作品の主人公の青年は立ち返るわけだが、その描き方があまりに自然で美しくて、ため息が出るくらいだった。
妙なたとえになるけれど、有名な画家の油絵の、粗くさえあるほんのひとつの筆のタッチが、一歩下がって絵を見ると、劇的に生きづいていることを確かめたときに出るため息と一緒。
技巧的な美しさだった。回想シーンなんかがなくとも、ささいで何気ない台詞群で、ちゃんと人生の深層を幾重もあらわしている。登場するすべての人物たちの人生を肌で感じられる。
役者の選び方も、こわいくらいに抜群だった。あのティーンエイジャーのふたりの女の子たち。それに衣装。
映像も造作のない感じなのに、みずみずしさがあってふしぎだった。ひとの顔が写されるとき、とくにそのみずみずしさが際立った。

オルミとローチはどちらも名前は知っていたが、初めての鑑賞だった。
オルミはいかにもイタリア映画らしい艶があり、ゆったりとして形の美しい大人のための映画だった。マノエル・ド・オリヴェイラの『夜顔』を彷彿とした。
ローチの映画では、スコットランドの男の子三人組が主人公なのだが、へんな英語を話していた。スコットランド訛りってやつなのかな?
それはおもしろかったけれど、ストーリーはそうでもなかったかな。移民問題を扱っていて、観ている側に問題提起がされる。その問題提起がなんとも意見の割れそうなもので、たしかに興味深くはあったんだけれど。でもほかの二人の監督のほうがわたしは好きだった。

そういえば、わたしはずっとキアロスタミのことをキアロミタスと発音していました。
わたしとこの映画の話をしてて、キアロミタスってなんだと思われていた方、わたしはキアロスタミのはなしをしていたんです。すみません。
けっこう恥ずかしい言い間違い!