ロルナの祈り

意識しているわけではないが、最近はダルデンヌ兄弟の映画をよく観ている。重厚な20世紀映画が続くと、箸休めのようにしてダルデンヌ兄弟を観る。

ダルデンヌ兄弟はもともとドキュメンタリーを撮っていた作家なので、2000年代に作られた評価の高いフィクションの映画たちも、いつも現実社会で実際に起きている出来事を、シビアな目線で捉えたものが多い。というかわたしの知る限り、つねに高質でリアルタイムな問題提起をしている。

そういった映画たちのなかで、この『ロルナの祈り』はいちばん詩的要素が高かったように思う。
映画の中盤までは、いかにも社会問題を扱った映画のようにしていたのに、ラストでのあの昇華はなんて見事だったんだろう。いままで無音楽の映画を撮り続けていた彼らが、エンディングに世にも美しいベートーヴェンを選んだ。
彼女が逃げ込んだのが森だったからだろうか、まるで現代のおとぎ話のようだった。おわりを失った物語。いままでに観たダルデンヌ兄弟の映画のなかではこの作品がいちばん好きだったかも知れない。
真新しいものを観たと感じた。

公式HPでは、この映画は愛の物語と謳われているけれど、わたしにはぜんぜんそんなふうには見えなかった。
これは罪の意識を描いた映画だと思う。個人的には絶対。

この映画の舞台はベルギーで、不法移民と偽装結婚を題材にしている。
最初にロルナがひとりのベルギー人の麻薬中毒者を利用し、彼との偽装結婚により国籍を得て、そのあとは彼を「始末」する気でいるという設定が、あまりにも病的じゃないかということが気にかかった。
本国の人間を利用し、殺害し、またその後ロシア国籍の男と偽装結婚しその男にベルギー国籍をもたらし、自分は巨額な報酬をもらうという設定が、あまりに残酷で、ふつうの感覚では踏み込めるものではない。
何のためにその金が必要なのかというと、外国にいるじぶんの本当の恋人をベルギーに呼び寄せ、ふたりのバーを持つために、そんなことをするつもりでいるのだ。
ちょっと・・・、ロルナ猟奇的すぎるんじゃない。

物語のなかでは、この計画は頓挫する。麻薬中毒者に、ロルナは情が移るのだ。でもこれって当然のことじゃない?と思う。
たいていの女の人は、あんなふうに弱った男にすがられたら、ふつう無視できないものだ。わたしはぜったい無視できないと思う。観ていて途方にくれる構図だった。
殺される麻薬中毒者クローディは、『ある子供』の主演ジェレミー・レニエが演じている。ほんとうにいい役者。
ひとことひとことを、振り絞るように発音するあの演技には胸を打たれた。そしてあの背骨。

クローディは、ロルナを希望に必死に麻薬を断とうとする。そしてふたりの生活を構築しようと努力する。
そんなクローディをロルナは邪険に扱い、彼が夕食を作っているのも無視して出かける。けれどその外出は、クローディを殺させないようにするために偽装結婚のブローカーに交渉に行くためだった。
ロルナが帰宅すると、クローディは自暴自棄になっていて、麻薬の売人に連絡を取っていた。ロルナとクローディは争う。
そしてロルナはおもむろに服を脱ぎだす。そしてすべて脱ぎ終えると、おびえたように身を縮めるクローディに歩み寄り、キスする。身も世もないようなキスで、わたしは彼のなかの一切合財の苦悩が、溶けきってしまったのがわかった。
神々しいシーンだった。さまさま映画で、さまざまなセックスの情景を観てきたが、こんなに圧倒的に強いものははじめてだった。
ひとがひとを救済するということ。救済じゃ弱いくらいだ。ひとを再生させるということ。ふだんはそんなことありえないように感じてしまうが、でもそれはほんとうのことなのだと実感した。
ほんとうに、よくこんなシーンが撮れるなぁ。ダルデンヌ兄弟の映画は、こういう究極的なシーンでのカメラがいつもすごい。ぜったいに目が逸らせなくなる。心臓が痛いほどにきしむ。あのシーンのふたりはこの世のものじゃないみたいだった。

彼はこの次の日に、ロルナの偽造結婚の手引きをしていた組織に殺される。
そしてロルナは、クローディの子を身篭ったという幻想に憑かれるのだ。

わたしはその幻想は、彼への愛というよりも罪の意識が具象化し、さらに自己正当化によるものなのではないかと思う。
クローディの子供を身篭ったのなら、彼を完全に殺してしまったことにはならない。その子供が生きつづけるかぎり、彼の片鱗が残るという願望。

罪の意識というのは、考えてみたこともなかったが、人によって形が違い、芸術家ならば一度は自身の作品に反映させたいモチーフなのではないかと思う。
罪の意識、あるいは償い。
ロルナは、想像妊娠をして、そしてお腹の子を守るためにブローカーからも恋人からも逃げ、森の中にさまよいこむ。
そして、無人の山小屋に行き着き、そこで暖をとり眠りにつくロルナを俯瞰するシーンでラストだ。

もちろん彼女は錯乱していて、人生は破綻しているのだが、それでもそれは人間的な結末だ。
あんなふうに体を重ねた男を、みずからが命を吹き込んだ男を、死に追いやったのはまぎれもない自分だったのだ。彼のことを生かしていたのはまぎれもなくロルナだったのに。
ふつうの人間なら、きっと耐えられないだろう。
そう、言いたいことがようやく詞になった。
ロルナが耐えられなかったことに、わたしは安堵したのだ。

カンヌで脚本賞を受賞している映画だけれど、たしかに脚本がすごかった。
ラストでは、明日からどうやってロルナが生きていくのかは一切想像がつかない。いつか子供がお腹にいないことに気がつくだろう。

彼女は死んでしまうだろうか。

そんなふうに考えても、気がふさぐような要素はほぼないと言っていい。すごくふしぎなことだけれど。

完成された映画だった。