ロイ・アンダーソンの〈リビング・トリロジー〉

ひさしぶりのログになってしまったけれど、書かないあいだにも美しくて、大げさだけれど文明社会に生まれてきたことを幸運に思うような映画を何本も観た。

いつものただの好き嫌い羅列だけれど、文化ということばが昔からあまり好きになれない。
カルチャーというカタカナ語が、まるで人生をゆたかにするためのものという意で使われるとき、もはやそのことばをわたしは厭悪している。芸術は人生を削るものだと思っている。少なくとも現代においては。

厳密な定義を考えるまでもなく、文化よりも文明のほうがやはりひとには必要で、それゆえすぐれた芸術に出会うと、それは文化ではなく文明なのだと感じる。なくてはならないもの、化学なんかと同じように、生きのびるために必要だと思われたもの。
そのような文明は人類にとって何物にも代えがたいなぐさみであり続けるのだと思う。文明によって壊されてゆくものは、文明によってしか救われないのではないか。
(『人間であること』という主題なので、思いっきり抽象的なことを書いてみた。)

これはおもしろい実験的映画で、実験的な映画のわりに、主題があまりにシンプルで、その構図にこの監督の凄みを見出す。邦画はいつも逆。映画としてなんのこだわりもみせないくせに、話だけ別次元のことのように複雑にしてしまう。

古い順に鑑賞した。『散歩する惑星』(2000)『愛おしき隣人』(2007)『さよなら、人類』(2014)
だんだんと具体性を増してゆき、散文詩的要素が弱まった。
そういう意味で『散歩する惑星』はロイ・アンダーソンが何を見せたかったのかがいちばん顕著に現れていると思う。超現実的な出来事も起こり、ちょっとカフカっぽいかなぁ。それにあの交通渋滞は、フリオ・コルタサルの短編『南部高速道路』を彷彿とした。
作中にペルーの詩人セサル・バジェホの『二つの星のあいだで躓いて』が引用されていて、アンダーソンはその詩に挿絵を描いただけのような映画だった。
この詩が本当に、しみじみといい詩なので、興味のある方は読んでみてください。

わたしがいちばん好きだったのは二作目の『愛おしき隣人』。三作の中でいちばん地味な映画だったし、正直いちばん話も頭に入ってこないのだけれど、やはりミアの恋のお話しがよかった。インスタグラムに書いた感想を貼り付け。
ミアの結婚式の夢のシーンは名シーンだった。あのミュージシャンが葫蘆のポットをプレゼントするのも、まさに夢らしいエピソードだと思う。そしてあの窓。
うつくしい情景で胸がドキドキした。
ああいう恋は、恋を所有するというよりも、それを失ったことを永遠に所有し続けるのだと思う。後悔するほどの中身さえ与えられなかった恋を、生き埋めにすること。あの夢はきれいな墓石みたいだった。

三作目の『散歩する惑星』はいちばん物語が明白で、洗練されていた。それでやはり思うことも多かった。
ヨナタンが、レコードの針をたびたび動かして、ある曲の一節を繰り返し聴くシーンは、じっさいぞっとするほど死に肉薄している人間のさまを見せられた。あんなにぼんやりした場面なのに。それで、サムがヨナタンの部屋の前で謝るシーンで泣いてしまった。
ヨナタンが自殺しているのかと思ったから。アンダーソンの映画で、そんなものは見たくないと思い、それで安心して涙が出たのだと思う。
わたしもあんなふうに謝りたかった。失ってしまったひとに、ごめんよ、君はたったひとりの友達で、君がいなかったら僕はひとりぼっちなんだ、ひとりはいやだよと言いたかった。そして眠ったほうがいいと言ってあげたかった。とほうもなく悲しかった。

この映画は、他の二作よりもはっきりと死に焦点が当たっている。
冒頭でも面白おかしくではあるが、それが示されている。
わたしもしょっちゅう死について考えるけれど、もっと突きつめて考えるべきだとこの映画を観て思った。わたしはいままで死について夢想していただけで、死を考察したことはなく、それは恥ずべきことのように思えた。もっと死を身近に感じるべきなんだと思う、ヨナタンのように。わたしは長いあいだそのことを忘れていた。子どもの頃に好きだった絵本なんかを読み返すとその感情を思い出すし、ベルイマンの『第七の封印』を観たときにも同じようなことを思ったんだけれど。

(『さよなら、人類』という突飛な邦題がどこからやってきたのかずっと気になっていたけれど、最後の実験台の上のサルが関係しているのかな。)

言わずもがなこの三部作は映像がとてつもなくすごい。
撮影はすべてスタジオで、背景はなんと絵!フェリーニのスタジオ撮影より評価されるべきじゃないかな。
それぞれの作品に、見せ場というか、ロマン派のシンフォニーの主題のように、盛り上がって息もつけないみたいな映像があるんだけれど、それが三作品とも忘れられない光景。
一作目の『散歩する惑星』はラストの郊外のごみ捨て場で、亡霊が起き上がるシーン
二作目の『愛おしき隣人』はミアの結婚式の夢のシーン
三作品の『さよなら、人類』は原住民を金属の筒に入れて火を放つシーン
一作目はトリッキーな映像、二作目はとにかく美しく、三作品はCGがちょっと残念、という印象だった。わたしは二作目が好き(強調)。
それに音楽もほんとうによかった。サントラがほしいなんてそう滅多に思わないけれど、この映画音楽はもうずっと聴いていたい。

スウェーデン・フィンランドの21世紀の映画は、カウリスマキ、ベント・ハーメル、そしてロイ・アンダーソン、とまだ四人しか観たことがないけれど、意外にもカウリスマキがいちばん好き。彼の映画は映画くさいから。アンダーソンの映画は、新しい手法の詩というほうが正確だと思う。