ブルガーコフ『劇場』

ブルガーコフの遺作。
(どうして何十年も前に生きて死んだひとの遺作を読んでこんなにさびしい気持ちになるのか)

ブルガーコフの本には随所に笑える場面があるんだけど、わたしはブルガーコフに笑わされる瞬間が実際どんなときよりもたのしい。
わくわくの性質はぜんぜん違うけれど、お天気のいい日、ディズニーランドで散々ならんでやっとアトラクションに乗れるとき、しかも一列目に案内されるときと同じくらい心が感情で満ち満ちる。そこにわたしの人生がぜんぜん介入しない心地よさ。

この長編のあらすじは、かれの生涯に忠実で、よってすこしだけ不必要に入りくんだかんじがある。
登場人物たちがすこぶるたくさん出てくるし、描写もなんというか、あんまり親切ではないので、読みづらいというかんじもある。
わたしは後半三分の一にさしかかってようやくおもしろく感じるようになってきた。

それまでは不安で。
「劇場」で、かれの戯曲はいつまで経っても上演されない。かれと戯曲はありとあらゆる障害を、いちいちまともにまじめに受けとめる。希望が生まれてもすぐに潰え、まるで悪い夢のような堂々巡り。カフカの長編に似た不幸の色。

つかみどころのない描写が多い。訳者は水野忠男なので、翻訳のせいってわけではないだろうから、原文がもともと持つ不明瞭さなのだろう。
そもそも突飛で非現実的な景色なのか、それとも読者(わたし)が読みとれないだけなのか。
わたしはせっかちなので、めったに頁をさかのぼることはせずに、はじめの印象だけで読みすすめた。それでもじゅうぶん劇場にたいして確かなスケールをもてたけれど。

とにかく、いとおしくて永遠に手元で大事にしておきたい文章にしょっちゅう出会う。
なので以下はわたしの新たな宝物の抜粋です。

ある朝、吹雪がわたしの目を覚ました。三月もすでに終わりに近づいていたとはいえ、吹雪が荒れ狂っていた。そしてふたたび、あのときのように、目を覚ましたとき、わたしの目には涙があふれていた。なんという弱さ、ああ、なんという弱い人間なのか。それからふたたび、あの人たちが現われ、ふたたび遠い都会が現われ、ピアノの側面が、銃声が、さらに雪の上に倒れた男が現われた。
それらの人々は夢のなかで生まれ、夢のなかから出てきて、きわめて堅固なイメージとなってわたしのひとり暮らしの狭い部屋に住みつくようになった。
彼らとはけっして別れられないことははっきりとしていた。しかし、いったい、彼らとなにをすることができただろうか。
最初のうち、わたしは彼らと話をかわしていただけだったが、そのうちに、やはり小説を抽斗から取り出さなければならなくなった。夜になると、白いページのなかから、何か色彩のついたものが出現するように思われはじめた。目を細くして、じっとみつめているうちに、これが一場の光景となっていると確認するにいたった。しかもこれは、平面ではなくて、立体の光景だったのである。それは小さな箱のようなものであって、文章を通して、その箱のなかに明かりがつき、小説に描かれたのと同じ人物たちが箱のなかを動きまわっているのが見えた。ああ、これはなんと魅力的なゲームであることか、

時が経つにつれて、本のなかの部屋から音が響きはじめた。わたしはピアノの音をはっきりと耳にした。

五月がどのようにしておわったのかをわたしは覚えていない。六月も記憶していないが、七月は記憶している。異常な酷暑だった。わたしは裸になり、タオルを身体に巻きつけて机に向かい、戯曲を書きつづけた。書き進めてゆくうちに、ますます困難になっていった。わたしの小箱はもうだいぶ以前からなんの音も立てなくなり、小説は消え、死人のように、さながら厭わしいもののように横たわっていた。色彩をもった人物は机の上で動きもせず、誰も助けに来てはくれなかった。

ほかにもたくさんたくさんすごいところがあったんだけど、そこだけ切り取っても分かりづらいので。
終盤のイワン・ワシーリエヴィチの稽古の場面はおおいに笑った。

ブルガーコフは

いまやわたしは、モルヒネなしでは生きてゆけないモルヒネ中毒患者のように、劇場なしには生きられなくなっていたのである。

と書き、この物語は

独立劇場に燃やす愛にやつれ、いまではピンでコルクに止められてたかぶとむしみたいに劇場から離れられなくなってしまったわたしは、毎晩、芝居を見に劇場に足を向けずにはいられないのだった。

という一文を最後にかれの死によって未完のまま残された。
ブルガーコフは生涯劇場を、愛し憎んだように、けっしてふり向いてはくれないソ連に長い長い片思をしていたわけだ。

わたしもずっとずっとおびただしい片思いを抱えている。
そのどれもが、死ぬまで成就せず、そして色褪せないまま、恋い焦がれる存在であってくれることを願ってる。