アルベルト・カンポ・バエザ『光の建築』

ひさしぶりに建築書を。

スペインの建築家アルベルト・カンポ・バエザ(1946-)の建築物の写真と、インタビュー、エッセイが収録された複合作品集。

エッセイは、彼自身のことだけでなく、原始時代からの建築史や20世紀の巨匠の建築についてのバエザの考察などもあり、大変勉強になった。
どちらかといえば広く浅く、わかりやすいことばで構築された本だったけれど、知識不足でノートが初めて知ることでいっぱいになった。ぜんぶ書き記したいと思えたほどで、ちょっと購入を考える…。

かれの建築は、基本的に真っ白な箱で、するどい直線を持つモダン・アーキテクチャーだ。あまり作品に振れ幅がなく、どの作品も印象が近い。
『テレフォニカ・タワー』(1999)や『メルセデス・ベンツ・ミュージアム』(2002)などは、巨大なこともあり、特徴的な外観をしているけれど、住宅に関してはどれも似たり寄ったりで、反復しているだけのようにも見える。
写真もあまり明晰なショットではなく、全貌が写っていないものが多いのでなおさらそう思うのかもしれない。図面は見ても分からないし。

ただ美しいのは美しい。日本の風景には似合わない建築だとは思うけれど、きわめて非装飾的で不自然的な外観でありながら、どこか神々しく、そして本のタイトルどおり、写真上で光があまりに力を持っている。第一、こういうのは、ひとつでも実際に見てみないと何も分からないものだろう。

なのでわたしが惹かれたのは、三好隆之氏によるインタビューとエッセイだ。
バエザは文学的な人間で、そしてとても真面目な人物であることが読んで取れる。

インタビューのいちばん最初に、なぜ建築家になったのかという問いがあった(p235)。
バエザは、「それは非常に明快です。わたしの祖父が建築家でした。…非常に優れた建築家でした。母は息子である私を自分の父親と同じように建築家にしたいという思いに取りつかれていたようです。彼女は私が描いたスケッチやデッサンをすべて保管していました。そういった経緯から私は建築家になること以外、考えたことが人生においてありませんでした。最初の日から明確に決まっていたようなものです」と答えている。
以前、フランク・ロイド・ライトのドキュメンタリーを見たときに、ライトも似たようなことを答えていたなぁと思い出した。こんな例ってそうなかなかないと思うし、建築家って母が熱烈に願えば叶う夢なのかななんて思ってしまった(野望)。

バエザは建築の本質を〈概念・光・重力〉の三つと解き、分かり易く解説している。
とくにベルニーニ、ミース・ファンデル・ローエ、アレハンドロ・デ・ラ・ソータ(直接の師)、ハドリアヌスといった建築家の作品を通して〈概念・光・重力〉がいかに建築のすべてであるのかを語っているのだが、わたしはとくに、ミースの作品の解説に舌を巻いた。なるほど、そういうことだったのかと合点がいった。
ストーンヘンジとミースの作品が頭のなかでリンクしたとき、とても感動を覚えた。

パンテオンやグッケンハイム美術館を、アヤソフィアを、聖アンドレア教会を、ロンシャンを訪れてみたい。ひさしぶりに旅行したくなった。

バエザはさいごにあまりにも拙い建築が世に溢れかえっていることに警鐘を鳴らしているけれど、それって世界規模の問題なんだろうか。
ヨーロッパくらいしか旅行したことないけれど、日本よりもまだ全然どうにかなる余地があるように思ったけれど。

日本の景観が向上することなんて、今後あるのかな。
あのごちゃごちゃに、わたしはどうしても風情を見出せないままでいる。
ラスキンやモリスの時代からこの逃避は始まったのかな。それとももっと前から?
どうして芸術は街を置き去りにしてしまったんだろう。どうして芸大出身者が溢れかえって掃いて捨てるほどいるこの国が、ひどい景観で埋めつくされているんだろう。どこまで逃げてもまとわりついてくる、憂鬱で醜いお化けみたい。