チャイナタウン

念願の!『チャイナタウン』を観る。

ポランスキーは今のところ、何を観てもいいなぁと思える監督のひとり。
何観てもいいなぁと思う監督は、たとえばジャック・リヴェットとかジョン・カサヴェテスなんだけれど、この場合のいいなぁは単純にその監督をただただ好きになってしまっているだけで、作品の出来はほとんど関係なくなっていることが多い。
けれどポランスキーの映画はどれを観ても、どう考えても上質だ(ここまで書いて、数えてみたらポランスキーの作品は『チャイナタウン』を入れても5本しか観たことがなかった。初期のモノクロのやつばかり)。
そしてわたしはポランスキーの映画については、とくに個人的に好きなわけではないので、言語矛盾的だが、これは客観的な評価でどれも名作だと思うのだ。

この映画はひたすらにかっこうよかった。
映画が好きでよかったなぁと思う。ずっと懐かしい感じがした。既視感というほど強いものではないが、観ている間じゅう、不思議な安心感があり、とても心地がよかった。久しぶりに、この映画がこのままずっと続いてほしいと思い、それでラストでは苦しい思いをした。

そもそもこの映画を観たかった理由は、ポランスキーがフェイ・ダナウェイをどんなふうに撮るのかを観たかったからだ。9月くらいからほんものの美女をみたいという気分で、グレタ・ガルボやマリリン・モンローの出ている映画を観ているのだが、さいきん見た美女たちのなかではこの映画のフェイがだんとつで素晴らしかった。

30年代風の眉と波型のパーマをあてたブロンド、あの細い軀が完璧な衣装を完璧に着こなし、植物の茎めいたほっそりとした脚をハイヒールに包みゆったりと歩くフェイ…。
ミステリー映画は、ほかのどんなジャンルよりも美女を必要とするものだと思う。

この映画は、ロバート・タウンがアカデミー賞で脚本賞を受賞している。原作などはない、かれのオリジナルだと思うのだけれど、どこかレイモンド・チャンドラーを彷彿とするストーリーだった。具体的には『さらば愛しき女よ』を思い出したのだけれど、この映画とほぼ同時期に撮られたロバート・ミッチャムが主演している同名映画も、なんとなく似ていた。どちらも悲しきアンチ・ヒーローなフィルム・ノワール。出来は雲底の差だったけれど。

推理小説を読んでいるときは、すこしでも分からなくなるのが無性に許せず、何度も後戻りしたりときには結末を先に見てしまったり(ひどい)するのだが、ミステリー映画に関しては、いつでも三分の一くらい理解が及んでいない。登場人物たちがなぜ今こんなことをしているのか、どうしてそういう結論に行き届いたのか、半分置いてきぼりにされている。が、これはあまり気にならない。どうしてかは分からないけど。
今回も、半ばどうなっているんだろうと思っていたが、大満足だった。
なんといっても映像が美しいんだもの。しっとりとした重厚な色彩で統一された見事な映像だった。舞台設定も美術もほとほと美しかった。フェイの乗るベージュの車!可愛すぎた。
いちばん感動したシーンは、中盤、主人公の探偵ジェイク・ギテスが、事件の調査のために夕方ダムを訪れるところ。
帽子をかぶったジャック・ニコルソンが、逆光でくらくてほとんどシルエットとしか映らずに、貯水池のフェンスを背景にゆっくりと歩く。
圧巻の空色だった。そしてあの虫の鳴き声!
脳裏に焼きつくシーンになった。台詞もなく、ただの情景でしかないシーンだったのに、あんなに圧倒的なものを撮れるなんて。ポランスキーは役者を強烈に強調する監督だと思う。
(『反撥』で発狂したカトリーヌ・ドヌーブが目を見開いて虫を顔から払いながら通りを歩くシーンなんかもすごかった)

アンチ・ハリウッドをいかにもハリウッドらしいな華やかさで描いた秀作だった。
随所に記憶に残る名シーンがあり(前述のダムのシーン、ラストの撃ち抜かれたフェイを写す見事なカメラワーク、オレンジ畑でのアクションシーンなど)、わたしにとって血となり肉となる的な映画だった。

わたしがジャック・ニコルソンを初めて知ったのがかれの代名詞的作品である『シャイニング』だったからか、かれのどの作品を見ても若干あのシャイニングのジャックにしか見えない節がある。
この映画でも資料室?のようなところで、にきび面の若者に食ってかかる演技はもはやシャイニングでやや怯えてしまった。

ポランスキーがちょっとした役で映っていたり、ジョン・ヒューストンが準主役をしていたりと、つねに求心力がある映画だった。
100点!

Tags: