マタ・ハリ

ひさしぶりの30年代映画!
ひさしぶりのグレタ・ガルボ!

こういう映画を観ると、元気になる。
元気になって、ふだんは憂うつな家事なんかもらくらくできたりする。歌もうたう。

細胞が活発になるというか…、映画中毒なんて言いたくはないけれど、生活に映画があるに越したことはない。みんな、そうだとは思うけれど。

マタ・ハリは実際に存在したマレー系オランダ人の踊り子だ。同時に高級娼婦であり、第一次世界大戦期の二重スパイでもあった。

『マタ・ハリ』が最初に映画で描かれたのは1927年に公開されたドイツのサイレント映画だが、彼女の名前が有名になったのはグレタ・ガルボによるこの『マタ・ハリ』の大ヒットによってだった。

マタの人生のほんの表面的なところを借りてきているだけで、これはまったくのフィクション映画だ。
そもそもマレー系のマタを、スウェーデン人のグレタが演じるのは冒険がすぎるし、大恋愛の相手役ロシア人将校アレクシス・ロサノフはモデルこそいるものの、映画の中のような出来事は、彼女とのあいだにはあり得なかった。
相手役のロシア人中尉役を演じたラモン・ノヴァロはストレート・パートのひげが滑稽なほど愛らしい顔立ちで、一所懸命に演じていた。

土台のしっかりとした映画で、歴史ものであり、スリラーであり、悲恋物語と要素てんこ盛りのわりには、とてもよくまとまっていた。
とくにスリラーの部分がちゃんと不気味で、今となっては陳腐ではあるが効果的な演出がいくつもあり、最初期のトーキーでありながら、よく追求がされてるなぁと感心した。
(まぁ、むかしの映画のスリラーのほうがよっぽどこわいものだけど)

グレタが26歳のときの映画で、こんなに若い彼女を見るのははじめてだった。ほんとうにきれいだった。
ジャン・コクトーは彼女のことを「彼女こそエレガントな美のきわみ」と評しているけれど、もうこの言葉以上に正確なガルボ評はないだろう。
オリエントな魅力とは真逆なタイプの彼女のキャスティングは、しかし実際見事だった。
このわけのわからない設定が彼女のうつくしさに作用し、彼女の神秘性をさらに高めていた。

ほんの最初にすこしだけ、彼女が踊る場面があったのだけど、あまり踊りは上手ではないようで、わたしにはジャワの伝統舞踊というよりはニジンスキーの振り付けたドビュッシーの『牧師の午後』みたいに思えた(ばかにしてるわけではありません…)。

脚本は、予想外なことはひとつも起きず「まぁ、こうなるわよね」というままに進んでいく。
マタは中尉を愛するようになり、命を狙われることを承知でスパイをやめる。
すでに情報局にも目をつけられていて、始末屋に殺されるよりも先に情報局に逮捕される。マタは裁判で中尉をかばい、銃殺刑判決を下される。
この過程で、 マタはいちどもスパイなんかに首を突っ込んでしまったことを後悔しない。目的や信念があってスパイをしていたわけではなく、なんとなくはじめたのだろうに。
じっさいのマタ・ハリも、お金が目的でスパイをしていたそうだ。彼女の生まれはオランダで、第一次世界大戦では中立国だったわけだから、愛国心などに突き動かされたわけではなかった。

わたしには、映画のなかでマタが後悔をするそぶりをまったく見せなかったのが好ましかった。
死よりも愛するひとと離ればなれになることに怯えるマタがしっかりと描かれていて感動するのだ。
スパイを始めれば、きっといつか殺されるかも知れないということは念頭にあっただろう。けれど、だれかを愛して、そして失わなければいけいないことはまったくの想定外だった。この構図がくっきり見えたので、ふるい映画の悲恋にしては、めずらしく物哀しかった。

ラスト・シーンがよかった。
銃殺場まで彼女を連れて行く整列した兵士たちは、これからいっせいに彼女にむけて銃を構えるであろうに、まるで彼女の守護天使のようだった。
そのなかで天を仰ぐうつくしいグレタの顔が、くっきりと脳裏に焼きついた。