おばあちゃんの夢

最近、週のはんぶんは箱崎にいる。
だらりと長い冬の光。

日本の風景のなかのヤシの木は、いつも頽廃的。

3歳のときに亡くなった祖母の夢を最後にみたのは6歳のお正月だった。
明るいブルーのサマードレスを着たおばあちゃんに手を引かれて、無人のホテルを歩いていた。ホテルはシンプルでうつくしく、まるで古代ローマの神殿のようで、光は白い影にくっきりと平坦な影をつくっていた。
ホテルのロビーは涼しくしずかで、規則正しくヤシの木が並んでいた。
おばあちゃんは、しきりに木綿のハンカチでひたいをぬぐっていた。

わたしはおばあちゃんに買ってもらったオウムのぬいぐるみを小脇に抱えていた。退屈だったが、こわくはなかった。いまから、わたしはおばあちゃんに連れられて空港に行くのだ。
オウムはわたしの気に入った。

それは実際、わたしがおばあちゃんにもらった最後のプレゼントで、東京にいたおばあちゃんのお見舞いから福岡にもどる道中で失くしてしまったらしい。間もなく祖母は亡くなった。
わたしは母からそのオウムのぬいぐるみの話しを繰り返し聞かされていた。母がいつもあまりにさびしげな顔をするので、わたしは3歳のじぶんを少し恨み、じっさいそのとりかえしのつかない失敗はわたしのなかに長く留まりわたしを責めた。
わたしはじぶんが母にこんな愛情を示していたことを、ほとんど疑ってしまう。
でもたしかに、わたしは母が世界でなによりも好きで、世界でいちばんきれいなひとだと思っていたのだ。

そのオウムのぬいぐるみがどんなものだったのかまるで覚えていなかったので、目が覚めたとき、ああ、あのオウムを見つけた!とうれしくなってすぐに母に報告した。

青地に黄色と白の模様がついた、目のきらきらとしたオウムだった。くちばしも足もほっそりとしていたので、それはオウムというよりその頃うちで飼っていたカナリアのようだったのだけど。

そして、そのお正月にはじめて夢日記というものをつけた。

久しぶりにそんなことを思いだした。

箱崎で、わたしはどれだけ忘れていたことを見つけたものだろうか。
わたしの記憶はすべて箱崎が預かってくれているのかもしれない。