なしくずしの死

ブコウスキーの『パルプ』の冒頭、
死の女王が「セリーヌは読んだ?」とたずねるせりふが、わたしのなかでふしぎなほど魅力を放ったので、読書計画の先頭にすべりこませてしまった。
ロラン・バルトも『零度のエクリチュール』でセリーヌについて触れていたし…。
もう何年も積読してるやつがごまんとあるのに、まったく。

冒頭の50頁にほとんど1ヶ月をかけた。
回想に入ってからようやくセリーヌの文体に慣れて、そこからは1週間ほどで読んでしまった。
この冒頭50頁がほんとに苦痛でたまらなかった。ただ定価(分厚いせいでやけに高かった!)で買ったこの本を無駄にできないというケチ心で食らいついてたんだけど、まさかこんなにのめりこんでしまうとは思ってもみなかった。

アニメーションのような光景を見た。
ありったけの色をめちゃくちゃに放ちながら物語はぐんぐん走って、あんまり汚いことだらけなのでどこかで飽和してしまって、まるでめくるめくファンタジーを読んでいるかのようだった。いやほんとに、この小説はファンタジーとは真逆の性質をもちながら、読んでいる最中の感覚があまりに似通っているのでこわいくらいだった。

もしくはコラージュ写真のように。
全く関連のない事物がじぐざぐに切り取られランダムに貼りつけられ、奇天烈で非現実的でありながら物語はふしぎな調和をみせた。
(これをアニメで映画化してくれるひと現れないかなあ)

これは絶望の物語で、絶望は単数系では扱えないとでもいうように、絶望が絶望を孕んでとめどなく産みつづけ、ますます残酷さをきわめ物語に散らばっていく。
性質だけでなく、その物量感を含めゴヤがたくさん残した版画集『妄(ディスパラット)』の世界観にそっくりだった。
絶望が画面全体に満ち満ちているのに、どこか滑稽で笑えてしまう。笑っている自分の感覚にちょっとどきりとするような。

読み終えたとき、たまらず「すごいなぁ」とつぶやいてしまったのは、物語が現在にもどらないまま終わったところ。
冒頭の現在で現れた人物たちが、回想でまったくでてこないことにもおどろいた。そのプロットの潔さがものすごくかっこうよかった。

読んでいてぐっとくるセンテンスもたくさんあった。この小説のつらいところは、救いのない話でありながら、愛情をもった生身の人物たちしか出てこないところだ。

最悪の状況ではじまり、最悪を通り越した状況を迎えて小説は終わる。主人公のフェルディナンが、まっとうに生きようと、まっとうに人を愛そうとする姿勢が痛々しく物語をつき進めたにもかかわらず。救いのない小説。それでも読み続けられるのは、その光景をわたしたちはあまりによく知っていて(祖国の紛争を逃れて船でヨーロッパで亡命しようとし、その船が難破して溺死する難民たち。最悪の状況ではじまり、最悪を通り越した状況を迎える。)、かつその状況がなくならないことも知っているからなのでしょう。

ストーリーや読後感想を説明するのはちょっと難しいので以下はわたしが好きだったところの抜粋。

二十二年来、毎晩のようにこの夜行列車は私を逆上させようとする…それもきっかり午前零時に…だが身の守り方は心得てる…こっちも一ダースのシンバルだけのオーケストラと夜啼鶯の二条の大瀑布と…それにとろ火にのせたあざらしの一群とで応戦する…こいつは独身者用の仕事だ…言うがものはない。これが私の第二の人生だ。

 

連中が切り開いて調べるだろう…解剖台の上で…だが連中には私の素敵な『英雄伝』は見つからないだろう…私の音楽も…死の女王がもうみんな持ってっちまったあとだ…来ましたよ、奥方、と私は彼女に言ってやろう、あなたこそは本物の分る人だ!

 

七十二番地の香水屋のマダム・ジュヴィエンヌがぼくたちの目の前で薄紫の花の山の下敷きんなってこと切れた。花はジャスミンだった…むせて息が塞まって…通りかかった三匹の象がゆっくりと断末魔の彼女を踏み潰した、滲み出した香水がセーヌまで無数の条を作って流れた…

 

意識が戻ると、母は叫びを抑えることができなかった、《ママンが死んじまった!》もう自分がどこにいるのかも分からないようだった…

ぼくたちは店を閉めた。日除けもすべて降ろした…みんな恥ずかしさみたいなものを感じていた…まるで罪人ででもあるかのように…
みんな身をすくめてたけれど、できることならもっと小さくなりたかった…誰かに許しを乞いたかった。あらゆる人に許しを乞いたかった…ぼくたちは互いに許し合った…お互いにしっかり愛し合おうと願った…

 

汽車の中ではママンの便秘のせいでまたひと騒動だった…

ーーもう一週間も行ってないじゃないか!……いったいいつになったら行くんだ!
ーー帰ったら行きますってば…
母の通じが規則的じゃないことに父は病的な恐れを抱いていた。そいつは父の頭にこびりついて離れないのだった。海峡横断は便秘を惹きおこす。彼はもう母のうんこのことしか考えていなかった。

 

発明家って奴はその奇癖の種類ですべて分類することができる…ほとんどまったく害のない種族も結構いる…

(略)
地下鉄の改良を目論む連中は?……いや!こいつらとなるともう気をつけてかからなくちゃならない!だがなんてったって一番気の触れた連中はといえば、正真正銘始末に負えない、飲んだくれの発明家はといえば、そりゃ決まって《永久運動》の奴らだ…こいつらときたら、自分の発明を証明するためなら、どんなことだってやり兼ねない!

前半からの引用が多くなった。最後のほうのページは、もうすでに開くのがこわい。
じつをいうと、最後の絶望には笑えなかった。クルシアルもマダム・デ・ペレールも、かれらは物語のなかで不幸になっていい人間じゃなかったはずなのに。