夜半にや君が ひとりこゆらむ

これは夢だろうか、とわたしは疑い、根拠なく、一瞬でその疑いを晴らした。
足が震えて、のどが渇いていた。もうずっと親しくしている動悸を抑えられず、めまいがして、昏倒しそうだった。幸福がものすごい力でわたしの肉体を襲ったから。
かれが歩み寄ってくる。その一歩一歩がひとつずつ永遠に思えた。

こういう性質の夢ははじめてだった。
だいたいわたしのみる夢は悪夢で、きょうは日中戦争が勃発する直前に、手違いで中国に引っ越す夢だった。

かれはわたしの高校時代の友人の親友で、千葉に住んでいた。
わたしたちは毎日のように3人でスカイプで話していた。長い日で6時間ほど電話を繋げていた。話している時間はわずかで、各々本を読んだり映画を観たり、勉強したり眠ったり、かれの弾くピアノを聴いたりして過ごしていた。わたしは美大を目指していた頃で、絵を描いていることが多かった。かれらの雑音をイヤフォンで聴きながら絵を描く時間がどれほど幸福だったことか!

かれは早々に高校を中退し、昼に寝て、夜中に街を練り歩くという生活を送っていた。かれは河合美術館がある辺りから、目黒まで歩いたりしていた。その辺りに親がもっているマンションの空き部屋があったようで、よくそこに寝泊まりしていた。食事もろくに摂らず、電話している間だけでも心配になるほどお酒を飲んでいた。要するにやりたい放題だった。
代々木公園でもぐらの死骸を掘り返したりしたりしながら、かれはわたしたちの会話に言葉少なに加わった。わたしが憧れた東京は、かれを通じてみた東京だけだったと思う。

わたしとかれはあっという間に仲良しになった。初めて話してから半年もしないうちに、仲介してくれた友人とよりも親密になった。それもお互い必然的なことだと感じていた。
そしてわたしたちはひどくたちが悪かったので、仲介した友人を排して電話するようになった。
ふたりで重要なことをたくさん話した。わたしたちは健康的であることに目覚めた。すきなときにすきなだけ眠り、すきなときにすきなだけすきなものを食べる、じぶんになにも禁じない、わたしはみるみるうちに怠惰な健康体になった。
そして何より芸術について盛んに話し合った。かれはわたしの知る人間のなかでいちばん芸術家らしい芸術家だった。音楽と書物をとくに愛していた。
わたしたちを出会わせてくれた共通の友人の芸術に対する態度を「身持ちが悪い」と揶揄した。

仲介してくれた友人とは大学進学前の春休みに大げんかをし、絶交してしまった。
(もしこのブログを読んでいるのなら、わたしが悪いことをしたと思っていることを知ってほしいけど、きっとこの話をブログに書いたことにまたキレてるよね)

かれとわたしは一度も会ったことがない。
かれはわたしと入れ違いにパリへ音楽留学してしまった。
20歳の夏に一時帰国したとき、かれは博多駅まで会いに来てくれたのに、わたしが駅につく前に新幹線に乗ってしまった。
わたしはかれの子供じみたそのいたずらに本気で怒って半年ほど連絡を絶った。
でも少なくとも、かれはそばまで会いに来てくれたのだ、わたしは一度もそんなことをしなかった。

そしてその2年後の夏、わたしたちは尾道で待ち合わせして一緒に旅行しようと計画を立てていた。わたしたちはその頃ラインでやり取りをしていた。かれも成長して、きっと今度はほんとに会えると思うと何も手につかないほどたのしみだった。ふたりで毎日綿密に計画を練った。
旅行の予定日の二週間ほど前に、わたしのラインが使えなくなり、かれと連絡がとれなくなった。ライン以外の連絡先を知らなかった。スカイプもわたしは削除してしまっていた。
かれの方でわたしを無くしてしまうことはあるにしても、まさかわたしの方から切ってしまうなんて。間違いなく人生で最悪の夏だった。当日、わたしは新幹線に乗ろうと駅まで行き、切符を買おうとした。でも足がすくんでそれ以上進めなかった。
わたしはまだ毎日このことに胸を痛めている。かれから連絡がくる夢はよくみるので、かれと会う夢をわたしがつくったとしても別にふしぎなことではない。

夢の中のかれは、身体が小さくて、ふくよかで、真っ白なきれいな肌をしていて、髪を長く伸ばしていた。平安時代の女性貴族を描いた大和絵のようだった。
小さな眼は意地が悪そうで、電話のときとおなじように小声でぼそぼそとしゃべっていた。わたしはほとんど聞き取れなかったけれど、会話なんて成立しなくてもちっとも構わなかった。幸福が喉までつまって言葉も出なかった。

わたしたちは手をつないで歩いた。後ろから、日傘をさしたかれの母親が付いてきていた。巨大な女で、紫がかった濃い色の口紅をべったりと塗っていた。そばかすの目立つ胸元に、ロザリオの十字架がぺたりとはりついていた。

キリコの絵の中のようなインチキじみた街で、わたしたちは3人きりだった。
わたしはふたりをホテルまで案内した。わたしにとって勝手知った街のようだった。
ホテルのロビーは湿度が高く、蒸し暑かった。

ふたりはチェックインを済ませ、シャワーを浴び、着替え、またわたし待ち合わせて昼食を取ることになっていた。

夢がさめた。
夢でもし逢えたら素敵なことね、と大瀧詠一は歌ったけれど、夢からさめたときの悲痛さは夢でかれと会えたときの強度とほとんど変わらなかった。
かれとラインが途絶えたとき、あらゆる手段でかれとコンタクトを取ろうとした。絶交した例の友人にメールを送ったけれど、当然無視された。
かれはSNSを全くしていなかったので、ネットもあてにならなかった。
ただかれは、わたしのブログやフェイスブックやインスタグラムのアカウントを知っていた。しようと思えば、かれの方からは連絡が取れたのだろうけれど、かれがそんなことをしてくれないこともわたしは重々わかっていた。わたしと違って、かれはみっともないことが絶対にできないひとだった。

春に見た夢。