父のはなし

父と会ったはなし。
きょうは、父とミニ会食をしにひさしぶりに外出した。
わたしは父に対してだけひどく遠慮しいで、父の前ではいつも小学生の男の子みたいな格好をしていってしまう。きっと父は、わたしがその辺の女子大生みたいにしていると怖がってしまうだろうから。インバーアランのシェットランドセーターとジーンズ姿のすっぴんで駅を目指して歩いていると、みるみるうちに清々しいきもちになった。
洗いたての顔で電車に乗るなんてひさしぶりのことで、ふだんすごく気にしている猫背の矯正も忘れて、ラフな気持ちで(だらしない姿勢でってことだけど)夕暮れの気配を電車から愉しめ、いい時間になった。
わたしは待ち合わせ場所に、15分まえにはかならず着くたちで、父は分刻みでぴったり到着するたち。
なのでわたしは父との待ち合わせに限っては、安心して本を読みながら待っていられる。
わたしはしばらく携帯電話を持っていないので、待ち合わせに失敗すると恐怖に飲み込まれてすぐに度を失ってしまう。だからひとを待つ時間は、必要以上に不安になってしまうけれど、姿が現れたときの安堵感はその分大きいし、たちまちうれしくなるのでわたしは待ち合わせが好き。
わたしが父の車を見つけて乗り込むと、まず父はわたしの歩き方の指摘をする。「歩き方が変だぞ。足をしっかり上げて歩け。右足を引きずってるぞ」と何年も前からたびたび父は言うのだけれど、わたしはそれをぜんぜん信用していない。それから父は、わたしの前髪が揃ってないとか、背中が丸まっているとか、靴が汚いとか、一通りいちゃもんをつけると、それきり黙りこんでしまう。父はおしゃべりが苦手だ。絵に描いたような九州男児で、むかしからよく唖然とさせられた。気分屋で、えらそうにはしているけれど、両親にはいつまでも頭が上がらずに、妻には横暴(の極みで捨てられた)、でも仕事はちゃんとする。父とは小さいころから別居しているので、子ども時代、月に二度父に会うときは、きまって動物園で珍しいサルでも観察しているかのような気持ちになってしまった。だって父はとても変わってるから。
図体が大きくて(顔も耳も腕も手も胴体も大きい)、しょっちゅう床屋へ行くようで、いつも中学生のようなもみあげをしていて、おばあちゃんにより清潔の保たれたワイシャツ姿が、中学生ぽさをさらに助長して見せてる。わたしよりも鼻が高くてあごがしゃくれてるけれど、父とわたしの写真への納まり方なんてほんとうにそっくり。
父の奇癖はいくつもあるけれど、わたしに服飾品を買うことは嫌がっていたのに、スニーカーばかりはいつも頼んでもいないのに買ってくれていた。
仕事柄揚げ菓子のにおいとたばこのにおいが車にも服にも染みついていて、わたしはこの匂いを思いっきり吸い込むのが好きだった。いまでも車に乗り込んだときにしてしまう。わたしがいくらあの映画たちにあこがれても、バックグラウンドはこのにおいだと思うと、いつもすこし笑ってしまう。
父はぼやきのあとは黙りこんでしまうから、わたしは半年前に会ったときとおなじ質問をくり返す。
会社はどう?慈善活動は?おばあちゃんは?お堂は?
父はたいていネガティブな返答をし、それが済むと、わたしが一方的に最近の報告を淡々と済ます。
父は終始、ぶすっとしているけれど、へんなことが気にかかるようで、会ったこともないわたしの愛犬の体調を心配していたりする。「獣医につれていけないなら、お父さんが出してやるからな」なんて言われて、わたしは返事に窮する。
夕食は近所のイタリアンだった。昔、入口に手回しオルガン弾きがいた、家族向けの広々とした店で、わたしも父も似たようなシーフードパスタを食べた。デザートはふたつ頼んで、どちらもわたしが食べた。わたしと父の伝統だ。父はお寺や神社巡りに熱心で、来週、伊勢神宮に行くと言っていた。食事は1時間とかからなかった。わたしも父も食べるのが早いのだ。父は会話こそ提示してこないけれど、たのしそうにしていた。去年に引きつづき、お誕生日おめでとうのことばはなかったけれど。
「ちゃんと栄養があるものを食べるんだぞ」と、父はいつもの文句とお小遣いをくれて、わたしはお礼を言って受け取った。父のボキャブラリーは極端に少なくて、わたしは父のそういうところも信用している。
わたしは父が好き。好きな人間って、とっても少ないし、これだけ長く知っていて好きな唯一の人かもしれない。オリジナルで、ひとりぼっちの部屋で、宇宙人が地球をのっとるというインチキ宇宙科学本ばかり読んでいて、母にも見限れられた父だけど、わたしはこういった家族を持ったからか、血の力みたいなものを信じている。父はトーべとおなじで、いかなるものにも干渉されることができない唯一無二の存在で、どうしたって否定ができない。まあ、トーべとは毎日一緒にいたいけれど、父は年に二回がちょうどいいっていうのは実情なんですが。