ルイス・フロイス 『ヨーロッパ文化と日本文化』

岩波文庫版で読む。訳は岡田章雄。

わたしはむかしから日本史がどうも苦手だ。科目として嫌いというよりはその色彩が苦手で、とくに戦国時代についてはその苦手意識がはなはだしい。この時代を描いた大河ドラマも、ろくなものを見たことがない。

高等教育を受けてもいないし、それゆえ日本史に関しては中学生程度の知識しかない。
そのなかで、フロイスは特異な歴史上の人物という印象を持っていて、この時代についての読みもので、読んでみようと思えた唯一の本が、『フロイス日本史』だった。

じっさいの歴史は置いといて、キリスト教の世界観って、こどものころから絵本などで親しみなれているからか、大きく理解に苦しむことなく受け入れられる。しずかで荘厳な美しい世界観。すっかり白人化した面々の絵画や像など、あまた見事な芸術作品が残されている。

おとなしいロバがでてきたり、サンタクロースがやってくる夜があったり、たまごを運んでくるうさぎがいたりと、浄土宗の世界観よりも、こども受けがよいことも事実だとおもう。キリスト以前に生きた人間が、天国へ行けないっていうのも、シンプルというのか大ざっぱというのか、まぁ分かりやすくて嫌いではない。

じっさい、わたしはさまざまなところで、日本の文化よりも西洋の文化に親しみを感じる。和楽器よりもピアノやオーボエのほうが美しく感じられるし、溝口よりも溝口をマネようとするゴダールのほうがまだ落ち着いて観ていられる。でも、もっと歳をとれば変わってくるんじゃないかなぁ、とも思っていたりする。

本題に戻る。

『ヨーロッパ文化と日本文化』は、『日本史』の予習として、図書館で借りて読んだ。純粋に、おおいに愉しめる。

まるで、気のきいた詩とか俳句がならんでいるだけのようで、すらすらと読んでいて、興味深いしちょっと笑える。

フロイスの用いることばは、どれもあまりにもことばをことばとして行使していて、そのひたむきなまでの率直さがおもしろい。

いちばん記憶に残ったのは、第四章の『坊主 bonzosz ならびにその風習に関すること』。

当然のことながら、仏僧がひどい言いようをされていて、(この時代の外国人と想定すれば)それまでのきわめて公平な視線と思慮深いことばはどこかへ消え去り、フロイスの人間味を垣間みれる。わたしが気に入ったのは次の一節。

13.われわれの間では修道士が結婚すれば背教者になる。坊主らは信仰に飽きると、結婚をするか、または兵士になる。

すごいセンテンス・・・。なんだか、仏僧がこわいものなしの猛者みたいに感じられておかしかった。

全体を通じて、フロイスは動作をおこなうのが、右手か左手か、片手か両手か、ということにたびたび言及していて、ふしぎな着目点だなぁとおもった。そんなことに頓着するひとはあまり見ないから。

それと、日本が紙文化の国であることも、この読書であらためて知った。なんでも紙を用いていたんですね。紙の着物というものも、初耳だ。紙を何十種類も使い分けるなんて、みやびやかな高度文明なんだろう。

大河ドラマのせいで、いんちきな服装や髪形、化粧に慣れてしまっていたので、じっさい日本人がどんな格好をしていたのかぜんぜん疑問におもうことがなかった。当たり前だけれど、絵のとおりに歩いていたんだなぁ。すごい格好をしていたんだなぁ。

ちょっと気になったのが、なまりや水銀のおしろいについて。おしろいを塗りはじめたのは、江戸時代からだと思ってたけれど、この時代からおしろいを厚塗りしていたのだったら、このあたりから有力武将の子息の寿命が短くてもおかしくなさそうなのに。

二十六聖人の殉教を長崎で見届け、その後亡くなったフロイスが、自身の生涯をどんなふうに見つめていたのか、想像に及ばない。

こういった比較文化の研究を、1500年代にしていたなんて、なんて偉業なんだと感激した。丁寧な観察と、地道な作業をくり返した、1500年代の西洋人に向けた覚書が、500年後の日本人をこんなに驚嘆させてくれるんだから。

『日本史』は、織田信長との謁見のところがたのしみ。