ガス燈

久しぶりに古いハリウッドの名画を観た。先々月末のBSプレミアムシネマ。
こういう古くて良質なサスペンス映画は意味なく好き。観ていて無我になれる。映画を観ているときに食べる甘いものも、ほかのジャンルの映画よりもおいしく感じられる。わたしにとってサスペンス映画はいちばん娯楽気分になれる映画なんだと思う。
ヒッチコックはまさにその典型。何度観てもおもしろくって、映画が始まると、深夜のドライブで高速道路にのぼるときの気分そっくりな高揚を感じる。そういえば久しく彼の映画を観ていないな。

さいきん、イングリッド・バーグマンの出ている映画をよく観るけれど、20代の彼女を観るのは久々だった。
顔が丸くて、体格がほかの出演作よりもよくみえる。相手役のシャルル・ボワイエの身長がちょっと低めだからかな。
もちろんきれいだとは思うけれど、バーグマンの容姿は、なんというか好きな系統ではないので、わたしの場合、彼女の映画を観ていても、どちらかというと演技がいいなと思う場合が多い。この映画は心理サスペンスということもあり、バーグマンの熱演ありきの映画だった。名演だと思う。

監督のジョージ・キューカーの映画は、『マイ・フェア・レディ』しか観たことがないけれど、ずいぶんとテイストの異なる映画を上手に撮るものだと驚いた。
キャサリン・ヘップバーンとの作品が多いようなので、近々観てみようと思う。
俳優の演技やカメラ、構図、脚本などの各要素に、いちいち清潔感があり、弛みのないしっかりとした映画だった。

ロンドンが舞台で、バーグマンがヒロインのスリラーということもあり、やはりヒッチコックの映画と比較してしまう。

ヒッチの映画ほどバラエティに富んでおらず、伏線もあからさまではない。その分、どこか湿り気のある映画だ。
サスペンスの技巧はあくまで二の次で、心理描写にこだわっている。よって登場人物たちの心情の変化が細部まで汲み取れるようになってくる。

その点はすごくよかったのだが、だからこそわたしはバーグマンが演じたヒロイン・ポーラの性格にいまいち共感ができずに、しだいに夫の思うがままに洗脳されていくひ弱な彼女に、たびたび「ばか!!」といいたくなる衝動に駆られてしまった(すみません・・・)。

思うに、スリラーを落ちついて観ていられない性格なのだ。まさかバーグマンがボワイエの演じる夫グレゴリーに殺されたり、またグレゴリーのもくろみが叶うわけはないと思ってはいても、いちいち動じてしまう。なので、ほんとうにバッドエンドのサスペンスなんかを観ていると、なかば憤慨してしまって、ひどい違反だと思ってしまうのだ。器の小ささを露呈させてしまうようだけれど・・・。

いちばん気になったのが映画の構成で、最初の物語の導入部分がなんとも貧弱なのが、映画全体にたたっているような気がする。
そもそもなんでこんな男を信用しているのか、イタリアにまで留学して志した声楽の道はどうなったのか、男はまったく仕事をしていないようだけれど、どうやって生計を立てているのか。
というところがほぼ説明されないので、ポーラに対してもなんとなく好感が持てないのだ。
まだ、ふたりのロマンスが語られたりしていれば説得力があったんだけれど、そういうシーンは尺の関係か映し出されない。

そんなふうに、多大にフラストレーションがたまり、最後にやっとそれが解消され息がつけるという類のストーリーだ。
ただその解消場面はほんとうによかった。バーグマンが鬼気迫った演技をしていて、脚本もハリウッド映画とは思えないほどねちっこくて変に感動した。
この場面により、バーグマンにアカデミー賞がもたらされたんだろうなぁ。中盤、神経が衰弱してゆくあたりの演技も見ものだったけれど、このラストで夫に詰め寄るバーグマンの熱に浮かされたような表情と声色は、ほんとうによく考えられたものだったのだと思う。女の苦悩というものがくっきり描かれていた。

彼女を救い出すことになる警部キャメロン役のジョゼフ・コットンが好きだった。
なんともたのもしい役柄で、彼とバーグマンの結びつきの設定の拙さは置いといて、彼ならきっとちゃんと助けてくれると確信しながら映画を観進められる安心感がよかった。
ガス燈がほんとうに暗くなったことをキャメロンも確認したときのシーンでは、観ている側のストレスもポーラと同じくらいに軽くなったようで、おもしろい映画経験だった。

シャルル・ボワイエの悪役もとってはまっていてよかったとは思うのだけれど、個人的に、いかにも絵に描いたような善人風の男が夫役でもおもしろかったのではないかと思う。

昔に観た映画の記憶を掘り起こしてログしたら、毎度のことだけど文字数がいかないな。
ちゃんと観たらすぐに感想を書こう。