シュテファン・ツヴァイク『マリー・アントワネット』

シュテファン・ツヴァイクは、ウクライナのブルガーコフと並んでもっとも敬愛する作家。
ツヴァイクの文章は、よく女性的だと評されるのを目にするが、すくなくともわたしはこんな文書を書く女性作家を古今東西ひとりも知らない。
華美でなめらかな文章を、はっきりと支配するあのひんやりした冷気としての知性を、女は絶対に醸しだせないものだと思う。

マリー・アントワネットについての個人的な記憶は多い。
歴史上の人物との最初の出会いはほぼ覚えているけれど、アントワネットに関してはそれがない。物心ついたときには彼女のことを知っていた。
母が18世紀のヨーロッパ史が好きで、図書館でこの時代の小説や図録などをよく借りていたからだろう。
肖像画を見るのが好きだった。
ハプスブルク家の人間に共通したあの卵型の顔と少し重みのある瞼、そしてあの独特な口 の形を、説明されるまでもなくわたしはよく覚えた。
そしてまだ幼稚園児の頃だったと思うが、福岡市美術館で大規模なマリー・アントワネット展があった。有名な肖像画から、彼女の紋章の入った食器、寝具、手紙、ドレスや靴などがどっさりとやってきた。
そのときあまりに印象的だったのが、彼女の白い手袋だった。
ドレスはあんなにボリュームがあるのに、その手袋のほっそりと小さなこと。そのコントラストに、高貴なひとは手足が小さいのものなんだと、感覚で思ったことを覚えている(成人したわたしは手が17cm、足は24.5cmになりました)。
その後、学校に通いだし世界史をざっと学んだあとも、マリー・アントワネットの存在はわたしの中で色褪せなかった。

マリー・アントワネットの人生は真に物語的で、その死によって完璧で確固たる構造を持つことになった。まるで太古の神話のように。オイディプスのように、その人生によって摩訶不思議な円を魅せる。

「不幸のなかにあってはじめて、自分の何者たるかが分かります」
かの有名なこのことばは、ヴァレンヌでの逃亡失敗事件のあと、チェイルリー宮殿に幽閉されている時期に、愛人フェルセンに宛てて書かれた手紙のなかの一節だった。

このことばのあと、手紙はこう続いている。
「私の血は王子の血管にも流れております。そしていつの日にか、王子がマリア・テレサの孫たるにふさわしい人物であることを証明してくれることを望んでおります。」

ここまで読んで、この名言の真相がわかる。
この名言を、わたしはなにか普遍的なもののように捉えていた。
不幸のなかにあってはじめて、アントワネットはささやかな本物の幸福を見出したのだと。家族みんなと一緒に過ごせるなら、ほかに何を望むことがあろうかと、自分の過去の破滅的な生活を振り返っているのかと思っていた。
それが全然思い違いだった。

マリー・アントワネットは、此の期に及んで初めて、王冠の重みを知り、自分の体にハプスブルク家の血が流れていることの世界史的な意義を知ったのだ。
劇的な構図はここを頂点に成立する。

どんなフィクションも及ばない感動を、ツヴァイクは最後の一文まで理知的にバランスを保って起こしている。
マリー・アントワネットを題材に、昨今ずいぶんと色々な物語や映画が出ているけれど、どれもひどくアントワネットを侮辱しているもののように思われる。
アントワネットの馬鹿騒ぎだけに焦点を当てたってどうしようもないじゃないの。彼女の人生はその昇華の過程がすべてであるのに。

感動しました。初夏には似つかわしくない読書だったけど。