これはほんとうに詩的な映画。
それなのに、ぜったいに文学の世界じゃ体現できない一瞬一瞬があって、きらめいてどうしたって触れられないままにひらりと消え去っていく。
せつない気持ちになった。こんなにも美しい世界が目の前で流れているのに、一歩も踏み入れさせてもらえずエンドロールが流れて。
脚本は用心深く、登場人物たちはそう親切にわかりやすい側面を見せてくれない。
あいまいさを美化するつもりはないけれど、実際映画を観ていて完全に理解が行き届くかっていうのは一義的な問題とは思ってないので、まぁぜんぜん構わない。

うまく言えないけれど、詩的と言いながら映画で満ちみちている映画なの。
冒頭の〈夜明け〉のシーンから。もはや、それは夜明け以外のなにものでもなく、自然がシュリークに味方してる。久しぶりに泣けるほど美しい映画だった。

わたしはマルティン・シュリークの映画を『ガーデン』しか知らないけれど、それと比べればストーリー性は現実的でだからより映像の美しさが心に沁みる。
映画の構造は似ているけれど、この映画のほうが字幕がそっけない。

ストーリーは一応起承転結をもつ。
ある中年男が、断食をはじめ、終えるまでの物語。ラストで、断食を終えたとき、あそういえばこのひと断食してたんだと思い出して可笑しかった。

そのほかの要素と言えば、その男の若い恋人は、ラストでかれと別れ、故郷に帰る。元妻は再婚するようなことを言っているが男に未練がありそうで、彼女とのあいだの息子は、音楽院の試験に落ちてしまう。

この男のお父さんがわたしの父にそっくりで、何度も笑ってしまった。
あんな状況で、掃除機を買ってしまうところや、その掃除機を自慢するところ、お金を無心するときの無表情なんか。
笑いながら、ずっと家族のことを考えた。

課題曲を逆さに弾いた息子に対し、男は座っていたスツールをぐるんとまわす。
湖で、ボートの上で反抗的な息子に対して憤り、勢いよく湖に飛びこむ。
タイマー式のカメラの前で、全員笑顔で並んで、シャッターが降りるのを待つ。
洗車中の車内、そこから気球が浮く緑ゆたかな丘の景色。
カフェで、恋人が不意をついて断食中の男の口にサンドウィッチを押しこむ。

いくらでも挙げられるけれど、ほんとうに映画的な瞬間をおびただしく目撃した。
そのどれもが、文学上では叶えられないものだった。タルコフスキーなんかの映像のように派手でも強引でもないけれど、シュリークは完全に自然に順応で、それでいて相当に手の込んだ映像だった。
映画という手段のすばらしさを痛く思い知った。
だから映画が好きなんだ、と何度も思った。

ものすごく印象的だったせりふを忘れないように残しておきます。

「自殺してもいいだんぜ」

女はそのことばを取りあわず

「ここはわたしの場所じゃない
わたしのものがひとつもない
必要なのよ
わたしの簞笥と わたしのベッドと わたしの本と わたしのものを隠しておける壁が」

ね、いいでしょう