年末に原作を読んで、満を持して鑑賞した。

(アマゾンプライムのデジタルリマスター版を観ました、いままでに観たデジタルリマスターの中でいちばん技術の効力を感じた。すーっごいきれいだった)

ヴィヴィアン・リーはどんな写真でも美しいと思ったけれど、動いてる彼女の魅力は圧倒的だった。オーリーとかは、若干写真が勝ってしまっているでしょう。

とくに感動的だったのが背中の線の優美さで、身をひるがえすときの軽やかさとしなやかさに一瞬ストーリーに置き去りにされてしまうようだった。ヴィヴィアンにしてはふっくらしている時代の映画なのに、ウエスト、50cmもなさそうだった。

そしてあの瞳!どんなライティングを駆使しているのか、絶えずきらきらと瞬き、原作どおりのスカーレットの瞳をみた。

眉の動かし方や目線の揺らし方も秀逸で、筋肉で演技をするという原初の法則がきちんとあり、それがまったく高度なレベルで達成されているのをみるのは快感だった。

演技が職人的で、段階化・細分化されているってこと。そしてはじめて、観客の感情をコントロールする。

前時代の名優(映画ができる前の舞台俳優たちとかもそうだけれど)にとって、演技をしているというわざとらしさとが何の障害にもなってないっていうのが、いまの俳優では考えられなくて、すごいなぁとよく思う。最近の俳優は、わざとらしく見えることをいちばん恐れているように見えるけれど、こういう名画をみると、その前段階の問題でしょう、と思う。

4時間近くあるだけあって、原作の細かいところまでよく拾えているし、ばっさりカットしているところも、たしかに、ここはカットしていいかもと思えるところで脚本の良さを感じた。

だらだらだらだらした三角関係の話しは、結局は作品のうわべの色づけであって、4部から5部にかけて若干「長いなぁ…、どう終わるんだろうか」と思っているところで、感情が一気にすごい力で動かされ、いきなり感動で息もできないみたいになるんだけど、映画もある程度まではそれが再生されていた。ちょっと、メラニーの死のシーンのスカーレットのせりふがいただけなかったくらい。

この、だらだらだらだらにとつぜん意味を見いだせるっていうのが、名作の醍醐味だと思う。

原作の、

彼は呼吸もできないほど強く彼女を抱きしめた。そして、彼女の耳もとで、かすれた声で言った。

「どうすればいいだろう?ぼくはーーぼくは、メラニーがいないと生きていけないのだ!」

(あたしだってそうだわ)

彼女は、メラニーがいないこれからの長い歳月を思うと、ぞっと身ぶるいを感じた。

というところが、もう少し映像化されていたら、どんなによかっただろうに。

メラニーの死をシンボルとし、ひとつの時代が終わる。最終部ではこれが焦点となり、この一節にその痛みと恐怖がさらりと凝縮していて、ここでわたしは本を読んだなかでいちばん感動した。

もう少し、アシュレとバトラーの俳優が違ったらなぁああ。二人とも、大きくイメージから離れているわけではないけれど、決定的に若々しさが足りなかった。

アシュレは、昔バイトしてた映画館にいたハーフっぽい男の子にしか見えなくて、ずっと嫌気がさしてた(そいつにきらわれてて気まずかった)。アシュレの、だんだん魅力が失せていくさまは、でもそのままだったな。

バトラーは、劇としてビジュアルでまざまざと見せられると、こういうタイプの男に活字上であっても惹かれたなんて、いろいろとこわい…、と熱が一気に冷めた。下がった眉は魅力的だったけれど。

『ティファニーで朝食を』のような、おそろしいハッピーエンドに転がらなければいいけれど、と思っていて、想像よりシビアなラストに思わずため息が出た。土地に帰着する、っていうのがこの作品の何よりのテーマで、そういう価値観を疑似体験できたことがずっと記憶に残る。

きっと一生わたしはそんなふうに生きることはないだろうから(ずっと、部屋にこもって本を読み続けるんだろうか?)

映画でいちばんよかったのは、タラのテーマ曲です。これは間違いないと思う。
いやこれが戦時中に撮られたなんて。