M

フリッツ・ラングの『M』を観た。

製作年の1931年は、ヒトラーが首相に就任する2年前の年で、ほんとうにギリギリ撮れた映画だったのだと思う。
その後34年にラングはアメリカへ亡命している。38年に水晶の夜が起こり、翌年に開戦する。

登場人物の多い映画で、エキストラもたくさん登場する。主演はユダヤ系の俳優だし、それ以外にもユダヤ人らしき風貌の人物も多い。
観ている間じゅう、この人々のうちどれだけが、直後の大戦と虐殺で亡くなったのだろうという疑問が頭から離れなかった。

この時代のドイツ映画を観ると、独特な気分の悪さに陥ることを知った。
映画の中ではかろうじて司法が生きている世界が描かれている。
殺人に対して民衆は恐怖心や怒りを抱き、警察は治安のために躍起になり、まっとうに機能している。ワイマール憲法が無効化していく過渡期のドイツを問題視するテーマが描かれる。
たった数人の犠牲者のために、ベルリンに不安が渦巻いている、という光景にすごく違和感を覚える。このすこし後に、政府が平気な顔をして桁違いの大虐殺を行うというのに。
こういう映画を観ることは、歴史を考察するうえでとても役立つものだなぁと思った。

映画はいたってシンプルなサイコ・スリラーで最近のスリラー映画に勝るとも劣らない内容で、さすがハルボウの脚本だと感嘆した。
犯人の異常性や殺人のやり口など行き過ぎない設定が、むしろ不気味ですごく好印象だった。
この映画の犯人は、シリアル・キラーの典型的なタイプで、この時代からこういったタイプと動機による猟奇殺人ってあったことに驚いた。

あの口笛の用い方はかっこよかったな。曲選もさすが(グリーグのペールギュント)。
犯人のふく口笛以外、音楽を排しているのもびっくりだった。まだトーキーになったばかりなのに、ラングはほんとに粋な映画人です。

主演のピーター・ローレもいい悪役。うつろな目とか澄んだ声に惹きつけられる。この後亡命して、ヒッチコックの映画とかにも出ているそう。スリラー映画にふさわしい薄気味悪い雰囲気を持っていた。

『メトロポリス』を観たときにも思ったけれど、どうしてハルボウがのちにナチズムを信奉するようになるのかさっぱりわからない内容なんだよなぁ。
ラストシーンの脚本なんか、見事にナチズムと真逆なことを言っているのに。

この映画のあと、あの恐ろしい時代がやってくると思うと寒気を覚えた。
この映画は技術的にも芸術的にも思想的にも円熟しているのに、しかし実際はそれを破壊する必要を、ほとんど全国民が感じていたという事実が、敗戦による恥辱や貧困に、文明が勝てなかったという事実が、恐ろしかった。かなり動じてしまった。
あらゆる分野の文化人たちが、ちゃんと自国を愛していたというのに、あそこまで行ってしまったなんて、信じられない気持ちになる。