ハッピーハロウィン

引越しの翌日に、娘の習い事のハロウィンイベントがあったので、仮装させて参加してきた。わたしもハロウィンにかこつけた何かしらに誘われたのは生まれてはじめてで、きっと親にならなければ一生ハロウィンとは無縁の人生だったろうし、娘がいなければわたしはこわくてハロウィンパーティーなんて行けなかっただろうから、とてもふしぎな気持ちになった。

娘の仮装はヨーダにした。ヨーダの血筋にいたら、相当な美形には違いないけど、大きな一重の目や、少し上向きの鼻、わたしに似て長い人中など、実際よく似ている。たぶんアメリカ人からみても、娘はヨーダに似ているのだろう、とても好評だった。

ママも仮装してきていいよ!とは言われたけれど、どうしたらよいのか分からず黒尽くめで行ってきた。ほんとはずっとレイア姫のあの弥生風の二つ結びに憧れているのだけど、自分ではおさげも作れないのでハードルが高すぎる(夫とこの話をしていると、レイア姫じゃなくてチューカッパの方が似てるよと言われた)。

娘もヨーダがとても気に入ったようで、何回も鏡の前へ行って、耳を引っ張ってパタパタさせて、まんざらでもなさそうだった。

行きの電車まではよかったのだけど、クラスでは大泣きだった。照明が暗かったし、流れも違うし、仮装した先生たちを、先生に似たべつの生き物と思ったのかもしれない。

ほかの子どもたちも当然だけれどいつもより興奮していて、すさまじい喧騒と混乱のなか一時間が過ぎた。パーティーとは喧騒と混乱以外の何ものでもないのだと思った。ぼーっとしながら帰宅し、わたしはきょうだけ特別に使ってみたモーヴ色のアイシャドウの無意味さに少し恥ずかしい気持ちになった。

よくアナ雪やその他プリンセスの仮装をしている子どもを見かけると、「座敷童とかのほうがかわいいのに」なんてほんとに余計なお世話&性格悪いことを思っていたのだけど、ようやくハロウィンというイベントの真髄が理解できた気がする。これは子どもが自分の憧れの対象の衣装に身を包んで、鏡を食い入るように見て、うっとりしていたり、有頂天になっていたり、完全に役に入りきっていたりするところを愛でるという行事だったんだな。

もっというと、それが似合ってなければ似合ってないほど愛らしいのだろうなと思う。来年のハロウィンには娘もアナ雪がいいとかいうようになるのかなぁ。そしたらわたしもトナカイとかしようかなぁ(トナカイって出てくる?)。